2007年08月12日

四国の思い出について

ざぁ~っと、四国八十八ヶ所を回ったときにつけていた日記を

このブログに写してきたのですが、結構なボリュームになりました。

四国八十八ヶ所をはじめ、大学時代はいろいろなところに旅に

いったのですが、私の中でやはりもっとも印象に残っているのは、

そのお遍路です。

四国で人の心に触れて、自然の壮大さに触れて、私の価値観は

大きく変わったと思います。それまでの19年間と、それからの9年間は

生きる意味において、自分の使命をもって生きてこられたという点では

大きな違いがあると思います。

いまさらながら、あの当時の日記やメモを見るのは気恥ずかしいのですが、

初志貫徹、なぜ会社を作ったのか?本当にやりたいことを思い出すためにも

確認するためにも、この大きく事業が拡大しつつある現在、見ておく必要がある

と思ったのです。


人生を88年と考えるならば、わたしはまだ29年しかいきていません。

四国の29番札所を振り返るならば、本当の困難はこれから10年に訪れると

思います。それを乗り越えることの喜びも、結願が近づくにつれての、人生の

楽しみについてもそうした困難を乗り越えたときに見えてくることもわかります。

四国に渡って本当によかったなぁと思います。

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Posted by 藤井哲也 at 22:56Comments(2)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月08日

1999年3月21日の日記(7)


風呂に入っている間も頭痛と寒気でいっぱいになる。

八十八番の手前についた達成感など眼中になかった。

目の前にあったのは迫りくるその高熱の嵐。


部屋に入って休む。宿の方にはまだ風邪だといっていない。

それを述べに下に行く気力さえ残されていなかった。

宿の方と思われる声がふすまの向こうに聞こえる。


ほうほうの呈でそのふすまを開ける。ようやく宿の人に伝えることができた。

薬とその他のものを持ってきていただく。夕食はいらない。

それどころではない。熱は三十九度を越していた。


家に電話してもらい、ここまでついたことを伝えてもらい、もしよければ

ここまで迎えにきてほしいと伝えてもらった。意識が遠のいていく。

何も覚えていないが、夜何度も目がさめて、苦しんだのを覚えてはいる。

すべては自分の自己管理の甘さから出たものかもしれないが、

やはりそこには運命があった。




       次の日。

        第八十八番大窪寺。結願する。

        再び、車で明石大橋をわたって帰ることになった。

        旅は終わり、再び毎日の生活が始まる。

        この境地を再び乗り越えることはありえない。


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Posted by 藤井哲也 at 21:59Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月07日

1999年3月21日の日記(6)


女体山頂上から駆け下りる。

話によればそこからおよそ30分ほどで大窪寺に着くことができるという。

車道と遍路道がある。もう遍路道は歩きたくなかった。車道をとる。


再び失敗。

進めど進めどそこに寺の面影は一つもなかった。下り坂が続く。

携帯電話で道を尋ねる。遍路道を取ればおよそ15分ほどでついたらしい。

こちらの道をとれば2時間ほどかかってしまうようだ。

電話した時にはすでに怪しいと思いつつも進むこと40分ほど。

後戻りは出来ないので、その道を進む。道に間違えてはいないので

あろうか不安だけが先行するが、こちらにむかてきた車に道を尋ねたところ

ここから先に大窪寺があることは確かにあるという。


信じて進む。一軒の家がある。

今日予約を取っておいた、大窪寺前の八十窪である。

転がり込むような按配で駆け込んだ。体は変調をきたしていた。


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Posted by 藤井哲也 at 03:10Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月07日

1999年3月21日の日記(5)


先人はここを通り抜けていった。

人には不可能なことも多いだろうが、希望に満ちていれば可能なことも

多いのであろう。


岩の間を潜り抜けて、飛び越えて行き着く先に女体山の頂上。




気分が悪いとか言ってられるほどの余裕はない。

人には「生」と「死」しか存在しない。僕は今のところ「生」を選んでいる。



まったくの理由はないのであるが。

「生きる」ということに理由なんてあるのだろうか。

価値観に普遍性はあるのだろうか。


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Posted by 藤井哲也 at 01:10Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月07日

1999年3月21日の日記(4)


雪が積もっていなかったらこれほどまでにも苦労はしなかったかもしれない。

足を滑らせて崖の下に落ちていきそうになることも数度ある。

ロッククライミングのような感じである。

まさに第八十八番の前に立ちふさがる最後の要衝といった感じである。


「死」の存在を感じた。「神」の存在を感じた。


そこから「自分」という存在を知り、すべての観念は止揚されて自分はそれらを

乗り越えることができる。


白い雪は赤い血の妄想で塗りたくられて、青い空と同質の存在となって

純化されていく。


杖の存在は不要となっていた。自らの足だけが頼りであったし、運命だけが

頼りであった。そこにニンゲンの存在できるだけの余地は残されておらず、

ひたすらに祈りに満ちた自然の草木の鼓動が波打っている。


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Posted by 藤井哲也 at 00:03Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出