2007年08月06日

1999年3月21日の日記(3)


前川ダムというところを越えたところで本格的な女体山登り口が始まる。



途中までは比較的、坂は緩やかなものであるが、進むにつれてその坂は

険しさを増していく。どこまでこの苦境は続いていくのか。果てしない

登りの連続がすでに限界に近づいているこの体に猛然と襲い掛かる。

およそ1キロほどで150メートルほどの標高差がある。太郎兵衛館という

ところを過ぎると、更にこの道は険しさを増していく。驚くほどの坂道は

どこまでも続いていった。


あの横峰寺のような坂であった。周りは登っていくにつれて昨日降ったであろう

雪で覆われて白い世界が広がっていく。冬の雪山をのぼっているような感じ

さえする。開けた空間に出た。


上を見上げれば太陽が照っている。山の頂上が見えたとき自然に足は

早くなってしまう。そしてすこしばかりの無理も犯してしまうのであろう。

失敗であった。


遍路道を取ってしまった。雪道を掛けわけながら女体山の頂上を目指すルートを

とっていた。


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Posted by 藤井哲也 at 23:59Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月06日

1999年3月21日の日記(2)

調子が良くなったとは到底言うことはできない。

休憩所みたいなところがあり、そこで少し休ませてもうらことにする。

周りはバスで回られているツアー客ばかりであるので少し居心地が悪い

気がするがそんなことはかまっていられない。警官の方が心配して

声をかけてくださった。薬を下さるということなので警察署までパトカーに

乗せて連れて行ってもらうことになった。


警察署について薬を頂く。

そこで少々休む。お腹の調子がかなり悪い。昨日もこんな状態であった。

ここまでやたらに雨が多かったのでそのためであったろう。

警察署をでる。次は結願寺である、第八十八番大窪寺。


ここまでの道程はひたすらに長かった。

そしてここからの道のりも厳しいものになる。長尾寺からは延々と穴吹の

方に向かって登り道が続くことになる。

何箇所か遍路道と車道との選択肢があるのであるが、自分は一番

安全で距離もそれほど遠回りにならない中間のコースを取る。

登り道が多く、この体ではかなりきついものがあるが今日中に八十八番に

つかざるをえないので進まざるをえない。


歩き遍路の方が一人追い抜かしていった。


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Posted by 藤井哲也 at 23:02Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月06日

1999年3月21日の日記(1)


今日やっと結願を迎えるだろう。




八十八番を打ち終えること。いつしか当初の目的はそのひとつの

情熱に摩り替わっていた。



朝七時、朝食を頂く。しかし食事が喉を通らない。吐き気がする。

夕食と変わらずに豪華な朝食は重荷となっておしかかる。

食べ残すことは失礼にあたるので時間がかかっても食べきろうと

思うが体が言うことを利かない。一言いって、少し残すことにした。

悪いと思ったが本当に食べられる状態ではなかった。

そこの女将さんは心配して胃薬を用意してくださった。


七時四十五分冨士屋を発つ。歩いて十五分も発たないところに

第八十六番志度寺があった。すこぶる調子が悪い。

志度寺では朝の掃除がなされているところで慌しい雰囲気であった。

住職の方に納経をしてもらい、その足を駆って次へ向かう。


次の寺は残り二つ目となる第八十七番長尾寺。どうやら昨日の雪の

影響であろう、風邪をひいたのかもしれない。頭痛がひどくなってきたし、

歩くと吐き気を催す。長尾寺までの距離はおよそ7キロとそれほど

遠くではないが、体が重くてどうしても先に急ぐことができない。

千鳥足で進むこと長く、ようやく到着間際。途中まで見えていた電車も

脇にそれていき、やたらに静寂が支配する場所をとおり、いかにも寺前町という

感じのところの奥に第八十七番がある。



第八十七番長尾寺。

寺に入るや否や、やけに明るい雰囲気があたりを覆う。そこではツアーの

人たちでごった返しており、また警察官が交通安全のキャンペーン活動を

行っておりまさしくそこは残り寺を一つとのこしての違った意味でのお祭り

騒ぎのさまを呈していた。納経にはまたかなりの時間を要する。

この体にはかなりこたえるものだ。


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Posted by 藤井哲也 at 22:55Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月06日

1999年3月20日の日記(5)


時はすでに2時半をまwっており疲労もだいぶたまっていた。

足の調子は雨の中を歩いたために急激に悪化してきている。

琴電電車の横を通り抜けていき、ずっと進んでいく。予約した宿にはなかなか

つかない。足が本当に痛くなってきた。雨はすっかりやんでいたが、時はすでに

遅かった。車どおりの多い道の横をまっすぐに突き進んでおよそ2時間ほどであろう。

志度町についた。


トイレに急に行きたくなったが駅も周りになく、こんな街で野外でようを足すわけに

はいかなかったので苦労したが道に迷いながらも駅に着くことができたのでよかった。

体調のほうも少し悪いと思い始めたのはこのときであったろうか。

そこから僅かのところで今日の宿があった。冨士屋旅館という。


この宿の料理はかなりおいしい。一階で料理屋もかねていて部屋まで

仲居さんが料理を運んできてくださる。しかもその豪華さといったら

比類しようのないほどである。お腹いっぱいになって満足している。

お風呂に入っている時に頭がボーっとしてきた。

疲れだろうと気にもとめない。知らぬ間に眠りに入っている。


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Posted by 藤井哲也 at 22:15Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出

2007年08月06日

1999年3月20日の日記(4)


次の寺は第八十五番八栗寺。屋島寺の登り口からおよそ6キロほど。

歩くにつれて雨がやんでいった。州崎寺という有名だという寺を

経由して八栗寺の登りに着く。そこからケーブルカーがでているようで、

遠くからも目印として良く見えていた。その麓にうどんやがある。

香川県に入っているのでうどんやが非常に多い。またこのうどんがおいしい

のである。ずいぶん昔に家族で四国に来た時に食べた讃岐うどんの思い出が

ふつふつと蘇ってくる。


そこで昼食を頂いて、足を休め体を温めてそこをでた。

この寺は本当に坂がきつい。それでも車が通れるようにはなっている。

民宿伏見屋という看板が見えた。地図で確認すると少し位置関係が

狂っており、間違ったところにでてしまったのかなと少し不安になって

しまったがそんなことはなかった。


そこから1、2分進んだところで早くも第八十五番八栗寺につくことになった。

この寺も霧の中に存在しており、深いその濃艶の奥に寺がある。

まるで廃墟のようにその建物群はあり、静けさの中におどろおどろしさが

混在している。


人はいた。納経を済ませる。少し休んでいる時に一人の歩き遍路の方が

こちらに向かってこられた。こんなところまで遍路をできる人は最初にはじめた

ときのおよそ10分の一になっているという。最近では歩き遍路の姿は

皆目みなくなっていた。いても、年配の方で電車を使って回っておられる

方とか、ツアーと変わらないような人たちである。その方を待たずに一足先に

山を下山する。

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Posted by 藤井哲也 at 21:20Comments(0)四国八十八ヶ所の思い出