2007年08月08日

1999年3月21日の日記(7)


風呂に入っている間も頭痛と寒気でいっぱいになる。

八十八番の手前についた達成感など眼中になかった。

目の前にあったのは迫りくるその高熱の嵐。


部屋に入って休む。宿の方にはまだ風邪だといっていない。

それを述べに下に行く気力さえ残されていなかった。

宿の方と思われる声がふすまの向こうに聞こえる。


ほうほうの呈でそのふすまを開ける。ようやく宿の人に伝えることができた。

薬とその他のものを持ってきていただく。夕食はいらない。

それどころではない。熱は三十九度を越していた。


家に電話してもらい、ここまでついたことを伝えてもらい、もしよければ

ここまで迎えにきてほしいと伝えてもらった。意識が遠のいていく。

何も覚えていないが、夜何度も目がさめて、苦しんだのを覚えてはいる。

すべては自分の自己管理の甘さから出たものかもしれないが、

やはりそこには運命があった。




       次の日。

        第八十八番大窪寺。結願する。

        再び、車で明石大橋をわたって帰ることになった。

        旅は終わり、再び毎日の生活が始まる。

        この境地を再び乗り越えることはありえない。


                       情熱を胸にICON179
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