2018年10月15日

「統計分析スキル」だけでは勝てない

 
 
 公共、民間の仕事を問わずに、統計データを分析するスキルは
 これからその重要性は高まっていきます。

 多くのデータ(ビッグデータ)から、なんらかの法則や仮説を
 見つけ出し、そこから、問題の解決策を見つけ出すという考え方は
 費用対効果の面から、また成功率を高める観点からも、
 求められるスキルだと考えます。

 統計データを分析するためには、仮説を立て、そしてその仮説を
 検証するために最も有効な分析を行うことが求められます。

 定量的であれば、グラフ作成やクロス集計はもっとも簡単な方法
 ですが、カイ二乗検定や重回帰分析、パス解析などができるの
 であれば、なおさら精緻な分析が可能となります。
 また定性分析にあっても、ある程度専門性が求められます。
 
 そうしたスキルを習得している人材の価値はこれから労働市場で
 高くなっていくはずです。

 しかしながらそれだけでは不十分だと思います。
 それは、そうした作業や仕事は、人工知能で置換可能だからです。

 今の時代では、そうした専門性が高い統計分析も、
 近い将来(感覚的にはあと10年以内?)には、そうしたスキルも
 人工知能が行えるようになってくると思います。

 しかし統計分析スキルが不要になるかと言えば、私はそう思いません。
 それは、人工知能によって、自動翻訳がなされるようになるからと言って
 英語コミュニケーション力がまったく不要なのかと言えば、そうではない
 ように、AIが行う統計分析を、理解し、正確性を自身で判断し、
 そしてリスクを取って、その行動をとるか取らないかを、批判的に分析する
 力が人間には残されているからだと思います。

 人工知能は、言ってみれば統計分析によって、もっともリスクが少ない
 手法は考えてくれるかもしれませんが、
 「リスクが高いけど、やってみる価値がある」がある選択肢は選ばないかも
 しれません。しかしながら、人間はなぜかリスクを好みます。他人がやらない
 ことをやってみたいという深層心理が働くからだと思うのですが、
 人工知能では、敢えてリスクを選択するという非合理的な選択をとらないと
 考えます。

 その背景には人間には「死」があるからだと思うのです。
 いつかは死ぬからこそ、人よりも幸せになりたい、お金持ちになりたい、
 認められたい、名誉を得たいと考えるわけで、観点面での万人による闘争が
 なされているのが、人間社会ではないかと思うのです。

 人間に死がある限り、私は、リスクを敢えてとるという人間の習性は
 そんなに変わるものではないと思っており、統計分析スキルについても
 その重要性は社会から求められるものになると考えます。

 データサイエンティストの域にまで、知識を得る必要はないかもしれませんが、
 より一般的なデータを分析し、自分なりに理解できることは、
 必要になってくるはずです。

                         情熱を胸にICON179












Posted by 藤井哲也 at 18:27│Comments(0)
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