2020年01月25日

「わたしの2001年→2020年」(中編)

◆順調に事業拡大していた矢先のリーマンショック
 最初は京都リサーチパークの1坪オフィスで始めた事業も、事業の拡大とともに社員も増え、京都商工会議所地下室のインキュベーション施設、その後は念願の自社オフィスを京都市中京区に置くことになった。徐々に会社も大きくなりアルバイト社員も含めて10人を超えたころ、職業訓練の委託事業を始めることになった。世間ではリーマンショックによって徐々に失業者が増え始めていた。基金訓練(緊急人材育成・就職支援基金)と呼ばれたこの事業を実施するにあたり、さらに研修ルームを借り上げ、大きな投資を行うことになった。不景気の時こそ成長のチャンスと思っての投資だった。
 おかげさまで職業訓練事業も順調に回り始め、また東京オフィスも開設しこれからというタイミングで、2009年頃だったと思うが、一気に雇用状態が悪化し、また委託訓練事業者の乱立によって収益率も低下してきた。なんとか単体で黒字事業だったものの、初期投資を回収することはできず、その他事業からカバーしながらなんとかやりくりしてきたものの、それもままならなくなり、ついに委託訓練事業から撤退することにした。約2年少しこの事業をさせて頂いたと思うが、その中で多くの同年代の失業者や求職者と出会うこととなり、今から振り返ると私にとっても大変貴重な機会だったように思う。同時に東京オフィスもこのころ閉鎖し、本業である就労支援事業と採用コンサルティング事業に特化して、ほそぼそと事業を存続させることでいっぱいいっぱいとなってしまった。
 時に現預金が一けた台になることもあり、会社経営者として冷や汗も書いたことが一度や二度ではなかったが、なんとか持ちこたえることができ(その中では申し訳ないことに人員整理もせざるをえなかった)、会社は存続することとなった。

◆2011年。政治行政への道
 事業をしていてもその時々の景気に大きく左右されてしまう。どうすれば自分が考えるような就労支援に取り組むことができるのかを塾講する毎日が続いた。そうする中で思い浮かんだのは、政治行政への道であった。京都市が実施する雇用対策事業でも大手企業傘下の人材サービス会社にことごとく負けていた。コンペではいい評価なのだが、最後にはやはり財力の面で不安があると。そればかりはもうどうにもならない。いまから数千万円や数億円の資本を投入できるのであれば何も問題はなかったが、それは無理筋の話であった。
 会社経営をしていても、地域の雇用政策に与えられるインパクトはいつまでたっても変わらないかもしれない。それならば政治家になって行政を動かすことができるのであれば、自分の思い描く雇用政策を提言し、大きな予算と人員を活用して、よりよい政策推進に導くことができるのではないかと考えた。2011年4月に地方統一選挙が迫っていた。政治家への道を考えたのは2010年夏くらいだった。ちょうどそのころ、みんなの党という経済人や構造改革を訴える人が中心に集まって結成された政党ができて、参議院選挙でも躍進していた。この政党からチャレンジしようと門をたたき、そして2011年4月の選挙に立候補した。当初は京都市会も考えたが、いろいろと悩んだ挙句、自分の地元への思いが強いことを知り、滋賀県から出ようと。さらに党の中での調整により滋賀県議を目指していたものの、市議からスタートすることとなった。なにはともわれ多くの方から支持を頂戴し、私の政治家活動が始まった。
 都合2期8年、このあと地方議員を務めさせて頂くことになった。大津市という町は京都市の隣にある琵琶湖の西南方面に位置する南北に細長い自治体である。人口は34万人。この町で市議会議員として、まずは地域の経済活性化、それによる雇用創出を目指して仕事に取り組むこととなった。1年目が終わるころ、市長が自民党系から民主党系に代わることになり、ここからが大変だった。地域経済団体との関係も悪く、この市長は2期目選挙では大津商工会議所が表立って反対し、対立候補を立てられる始末だった。いじめ自殺事件もあり、部下である職員のマネジメントにも難があって、教育長や副市長が相次いで辞職するという事態に陥った。2期目も同様で市民との対話を重視するという姿勢がみられず、挙句には署名さえも受け取り拒否をするというわがまま放題。結局、何がしたかったのかといえば、「もったいない」という考え方なのだろう、とりあえずお金は使わない、そして人件費は削り、必要である公共投資(消防署建替えや市庁舎改築)も行わなかった。合併特例債という国が70%の財源を負担してくれ、さらに25%の起債ができる特別な事業債があったものの、これを他の補助金が使えるにもかかわらず、ごみ焼却場の整備や中学校給食センターの整備に充ててしまい、3期目は立候補せず引退ということになった。このあと残された大津市は大きな財政出動をせざるを得ない状況で大変な事態になることが目に見えている。
  

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2020年01月24日

「わたしの2001年→2020年」(前編)

◆なぜ私は就職氷河期世代支援に取り組むのか?
 就職氷河期。一般的には1993年から2005年までに学校を卒業し初職に就いた人を指す。実際に就職環境が数字上、悪化したのは97年頃から2003年頃であったが、1990年代初頭にバブルが弾けて以後は日本型雇用慣習の気風が薄れ、成果型人事制度が普及し始めたこともあり、一旦初職を早期に離れてしまうと、雇用環境が悪く再就職が厳しかったためか、この世代におけるキャリア形成は困難に面していた。
 私も2001年に大学を卒業し四苦八苦して内定を獲得したひとりであるが、当時の就職環境は今でも時々思い出すことがある。また偶然か、私が就職した企業は人材派遣を主力事業としていたため、同世代を含め若年層の多くが不本意な就職をせざるを得ず、または就職ができずに、非正規労働市場へ巻き込まれていくのを目の当たりにした。非正規社員を大切に使う企業もあれば、当時の風潮でもあったかもしれないが、人使いが大変荒い企業も数多く見てきた。労働市場が買い手市場だったことも影響しているかもしれないが、正社員に対してさえ、過酷なノルマを課し早期退職する者が続出していた。1年間で新卒入社した社員の5割が辞めるという職場も普通にあったように思う。今では確実に「ブラック企業」認定されるだろう。
 さらに非正規雇用の置かれた立場は厳しいものだった。3か月ごとの更新制の雇用契約、場合によっては1カ月ごとの契約というのも私が担当した企業であった。来月、働く場所がなくなるということを怖れながら、日一日と働き続けることの疲労感はどのようなものであろうか。ダブルワークならぬトリプルワークに従事するシングルマザーの執念にも驚いた記憶がある。2人の子供を必死で育てるために、朝4時から弁当製造工場で働き、昼は別の仕事、夜は飲食店で働いていたそうだ。一日の睡眠時間は2、3時間だという。なぜ彼女があのように明るく仕事をすることができていたのか。とにもかくにも私が就職した時代背景、そして最初の職場での仕事を通じて得た様々な経験。それが私が就職氷河期世代の支援に取り組む原点であった。

◆2003年、24歳で会社を創業。
 2003年、私は2年間の営業職の修業を終えて、自分の会社を立ち上げることにした。2年間の人材派遣会社での就業の中で出会った様々な人たちの横顔が脳裏に浮かび、また大阪の雑踏の中でさまようホームレスの方の顔も思い出される。いまの若者たちがこのような働き方をしていたら、いずれホームレスになるか、生活保護を受けざるを得ない立場になるのではないだろうか。非正規で延々と働く中で得られるキャリアのも能力も限られたもので、また月々15、6万円程度の給与しかもらえないため貯金もできなければ、年齢とともに低下する労働市場における市場価値に合わせて、生活困窮する姿が目に見えるようだった。個々人の若者にとっても大変であるが、それが世代全体、社会全体から見ると、この就職氷河期世代が年齢を重ねた時に、将来は大きな荷物になるのではないだろうか。この世代のために果たして、国や他の世代は多大な社会保障費を負担してくれるだろうか、そもそも、そのような財力がその時、この国に残っているのだろうか。
 私が創業したときの主力事業は、フリーター向けの求人サイト。新卒向けの求人サイトはすでに乱立しつつあったが、既卒者、とりわけ早期退職者や若年非正規雇用者向けの求人サイトは私が知る限り当時見当たらなかった。(その後、リクルートがフリーペーパー「タウンワーク」のウェブ版を開始するなどした)また同年、始まったのが日本で初めての若年者を対象とした就職支援事業だった。
 2003年、小泉純一郎内閣における「骨太の方針」において、増え続ける弱年非正規雇用者・無業者にスポットライトが当たり、都道府県単位で若年者就業支援センター(ジョブカフェなど)が設立され、従来の高齢者等向けが中心だった雇用政策の転換が図られることとなった。若年者就業支援の主な事業内容は、第二新卒層から概ね35歳までを対象とした「若年者」に対して、就職が有利になるようなビジネスマナー、パソコンスキル、面接講座などの職業訓練、面接対策やキャリアアドバイス、仕事の紹介などワンストップで職業訓練と職業紹介を受けられるものであった。私はこうした事業の中で、社会人の先輩として講義をさせて頂いたり、また企業向けのセミナーにおいて若年層の特性や採用におけるポイントなどを話させて頂くなど、事業の一部を担わせて頂いた。
 同時にインターネットによる就職活動、採用活動が加速度的に進んだ時期でもあり、それに対応した自社商品の開発やリリースにも積極的に取り組んだ。CMSと呼ばれるウェブサイトの専門知識がない人でもウェブサイトをワード感覚で作成することができるシステムを活用した求人サイトパッケージを日本で最初に発売したり、または求人サイトに実装可能な適性診断テストを研究開発したりしてきた。これらは新聞やテレビ局など多くのマスコミにも取り上げて頂き、会社全体が大変盛り上がった時期でもあった。



  

Posted by 藤井哲也 at 09:30Comments(0)情熱(私の思い)

2020年01月04日

謹賀新年2020 本年もよろしくお願い致します



 あけましておめでとうございます。
 旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。
 本年も何卒、宜しくお願い申し上げます。





 8年間の議員公職から昨年離れ、慌ただしく一年を過ごしてきました。
 東京での貴重な体験は、私自身の人格形成に大きな意味があったと考えています。
 また会社にとっても、今後の事業成長にプラスの影響があったと思っています。

 思えば議員を辞めるときは、就職氷河期世代の活躍支援は、まだ大きな社会問題とは捉えられていませんでした。
 議員活動をしている中で、「市議」というローカルな活動では、この社会問題に対応できないと考え、一念発起して、国の政策形成の中枢に近い東京永田町や霞が関周辺の仕事をする中で、様々な方とお出会いする中で、意見交換してくるタイミングに合わせて、就職氷河期世代の活躍支援が、重要な社会政策として捉えられるようになってきたことは大変嬉しいことだと思っています。


 本年の抱負は胸の内に秘めておきたいと思いますが、大きなことを為すための基盤を築きたいと考えています。特に重要なのが、お金と人的つながりかなと。そのためには商売繁盛が欠かせません。株式会社パシオの創業以来の理念は「若者が情熱をもってイキイキと働ける社会づくりに貢献する」というものです。この理念に沿って、今年一年、充実した年にしようと決意を新たに正月を迎えました。

 



 
 本年も何卒、宜しくお願い申し上げます。


藤井哲也



  

Posted by 藤井哲也 at 15:34Comments(1)情熱(私の思い)

2019年08月25日

「就職氷河期世代活躍支援」の概要


来年度から本格的に展開が始まる「就職氷河期世代活躍支援プラン」の概要が見えてきました。
厚生労働省の資料に基づくと、

(1)都道府県ごとのプラットフォームを活用した機運醸成
(2)福祉と就労をつなぐ都道府県ごとのプラットフォームの整備
(3)ハローワークへの専門チームの設置
(4)教育訓練事業者などの民間知見を生かした成果連動型委託訓練制度
(5)就職氷河期世代向けの短期資格等習得コースの設置
(6)働きながら無料で受講できるようなEラーニング講座などの開設
(7)就職氷河期世代に特化した求人開拓、マッチングなど
(8)トライアル雇用や雇用型訓練事業の拡充
(9)地域若者サポートステーションの取組強化
などが挙げられています。

なるほど。
しかし、メニューだけ見る限りでは、「(5)就職氷河期世代向けの短期資格等習得コースの設置」と「(6)働きながら無料で受講できるようなEラーニング講座などの開設」以外は、現在すでに取り組まれている施策の拡充の観があり、2000年代初頭から行われてきた若年者就業支援施策の焼き直し感が強いように思われます。

問題になるのは実効性です。
仮に、就職氷河期世代を新たに正社員30万人増やすという政府目標を達成しようとするならば、残念ながら現在、厚生労働省が示すプランでは難しそうだということは、就業支援に関わっている方なら体験的に理解できるように感じます。とりあえずプランを素案として提出してここからよりエビデンスも用いながら検討を深めていくなら分かりますが、このままの施策展開をするならば、きっと税金の無駄遣いに終わってしまうのではないかという懸念を覚えます。

働きながら無料で受講できる講座を設けることはいいことだと思います。
働くこと×学ぶことを掛け合わせることで、学びのスピードも質も変わります。
ただ、問題になりそうなのは、就職氷河期世代が果たしてそこにモチベーションを持つかどうかです。
この世代は、仕事や生活に追われており、とても余った貴重な時間を使って学びに活用しようかというと、私としては難しいのではないかと思います。そういう向学心高い人はきっとすでにホワイトカラーであったり、職場の管理者になっていると思われます。

また、1か月や2か月で習得し、正社員に結びつくようなスキル習得を目指す新たな職業訓練プログラムも、確かに数値上は効果がありそうに思いますが、あくまでこれは机上の空論と言っていいように思います。
なぜか。それは求職者の志望がその職種や業種にないからだということです。フォークリフトや運搬に関わる新たな資格を習得して正社員になれるなら、すでにこれまで行われてきた約15年間の若年者就業支援施策の中でなっていると思われます。あくまでこの世代が就業したいのは、そうした職種や業種ではなかったわけです。ジョブカウンセリングによって求職者一人一人にそうした職種・業種への意識を持ってもらえるようにつなげていくのもあり得るのかもしれませんが、実際のところ、そんなに簡単ではありません。

この就職氷河期世代がこれほどまでに非正規率が高かった要因の一つは、就労環境が悪かったということももちろんありますが、1990年代以降急速に高まってきた大卒率の上昇にもあります。大学を卒業してまで、現業系の仕事につくのは・・というプライドというべきか、拘りがあるため、あくまでホワイトカラーサラリーマンを目指して、ホワイトカラー系の非正規社員を目指したり、マネージャーや管理職を目指して、フードビジネスや物流、流通会社に就職したりしてきましたが、劣悪な職場環境、就労環境で入社後数年で退職してしまい、その後は非正規社員が続いてきたという人が大変多いように感じられます。

こうした対象者に対して、果たして夜間や土日通える講座をもうけたり、又は短期で正社員になれる現業系資格を取得するコースを設けても、実効性の点で大変疑問を覚えます。


私としては、いっそのこと、半年から1年間かけて、求職者支援の一環で、新しい時代に求められるスキルに特化して習得するようなプログラムをもうけていくべきではないかと思います。
具体的に言えば、大学や専門学校で学ぶような専門性が高い統計分析やマーケティングのスキル習得、またプログラミングのスキル習得、実践的な企画立案スキルの習得などです。

私の経験上、これまで見てきた職業訓練、とりわけ委託訓練事業などでは、基礎的なスキルを学ぶだけです。
例えば、ワード・エクセル・PPなどを学ぶだけであったり、基本的なマナーを学ぶだけであったり、もしくは介護福祉の初歩的な資格取得をするものとなっています。
とてもではありませんが、これで正社員になれるほど甘いものではありません。
根本的に公共職業訓練で行っている事業と、企業が求めるスキルとの間にかい離が生じており、就職できたとしても大変厳しい職場環境の会社であったり、または非正規社員として働き始めるということが多い見受けられます。

今回の3か年に亘る就職氷河期世代活躍支援は、まさにこれまでの施策の焼き直しであっては全く意味がないと思うのです。抜本的に職業訓練の中身を見直し、リカレント教育(学び直し教育)を進めなければ意味がないと思います。

たまたま、先日、日経新聞の社説で私の考えに近いものがありましたので、添付させて頂きます。


日本経済新聞 2019年8月23日 朝刊記事



せっかく地方議員の仕事から、中央政治や中央省庁に近いところで仕事をすることになりましたので、こうした動向に注意深くモニタリングしていくと共に、私自身、政策形成過程にいる方々にアプローチを試み、私自身の想いや施策提言などをさせて頂きたいと思っています。





藤井 哲也








  

Posted by 藤井哲也 at 16:59Comments(0)情熱(私の思い)

2019年07月27日

「就職氷河期世代支援推進室(仮称)」が立ち上がる!

私が会社を創業したのは当時、若年者であった現在の「就職氷河期世代」の就職環境が非常に悪かった時期でした。
2003年9月29日。

その約3か月前に「経済財政運営と構造改革に関する基本方針 2003(骨太の方針)」で、おそらく初めて若年者の就労にスポットライトを当てた施策方針が示されました。今から振り返ると就職氷河期世代とされる年代の人たちは1990年代前半から生じていたことになっており、とりわけ1997年前後の構造的な経済低迷により、1999年から2002年頃の就職環境が最悪だったことを考慮すると、若干施策展開が遅れたという気もしますが、景気循環説に基づき、当時は私も含め、もう少し我慢すれば景気は回復すると信じていたので仕方ないかもしれません。まさかその景気低迷がリーマンショック後の停滞期も挟んで10年程度も続くとは思ってもいませんでした。

就職氷河期世代は、ロストジェネレーションとも言われ、「割を食った世代」や「不遇世代」ともされています。

2003年の6月に小泉純一郎内閣で発表された「骨太の方針」における若年者の雇用対策は次のように書かれていました。
少し長いですが、ペーストします。

(1)雇用制度改革
・今後の時代を担う若年者の人間力強化のため、「若者自立・挑戦プラン」を推進する。その際、地域、企業、若年者の状況に十分配慮する。
・若年者について、現下のフリーター、無業者の増大に対処し、職業人としての自覚の涵養・職業意欲の喚起を前提として地方自治体、学校、民間団体、民間事業者との密接な連携・協力の下に、複数紹介、トライアル雇用や就職支援相談員(ジョブ・サポーター)を活用した一対一の個別総合的な職業相談・紹介体制を整備する。
・企業ニーズ等労働市場の状況に応じ企業実習と教育・職業訓練を組み合わせた若年者への「実務・教育連結型人材育成システム(日本版デュアル・システム)」を導入する。
・全国一律的な制度から、地域の個性や自主性を活かした雇用促進策へ転換する。地域の新たな取組として、自治体と地域の企業、学校、ハローワーク、民間事業者等の連携の下、その実情に応じ若年者のためのワンストップ・センターを整備する。
・長期失業者に民間事業者を活用して集中的な就職相談、効果的な職業訓練・職業紹介等を行う。その成果に対する評価に基づく報酬等の誘因を付与する。また、労働市場の状況を反映しつつ個人の選択を機能させた職業訓練等を行う。
・労働市場の環境整備のため、キャリア・コンサルティングを担う人材の育成・活用や産業のニーズに応じた職業スキル標準・カリキュラムの策定、職業能力評価制度の整備等を進める。
・社会貢献活動やワークシェアリング等、多様な雇用・就業機会の提供等を推進するとともに、育児休業の取得推進や保育サービスの強化・充実など、子育てをしながら働ける環境整備を推進する。
・「男女共同参画社会」の実現を目指して、指導的地位に女性が占める割合が2020年までに少なくとも30%程度になるよう期待し、平成15年度においては、関連情報のワンストップ・サービス化、ネットワーク化など女性のチャレンジ支援策に取り組む。
・障害者の雇用・就業を促進するため、トライアル雇用、能力開発、在宅就業の支援等を進める。
・国民の求める安心の実現に向け、一元的に雇用や失業関連の情報を提供する。
・旧国立研究所など公務員型独立行政法人について、その業務の内容により非公務員型独立行政法人化を進める。

(2)雇用機会の創造
・サービス分野における規制改革や公的部門の外部委託の推進、情報提供、人材の育成支援、観光立国の実現及び休暇の取得促進・分散化等により、「530万人雇用創出プログラム」を着実に推進する。特に、サービスの生産を担う人材の質的強化は、サービスの品質や生産性を高め、競争力や付加価値の高いサービス産業の発展・創業を促進する上で重要である(具体的な対策例は別紙1参照)。
・公的サービスの外部委託を計画的に進め、NPO等を活用するほか、総合的な健康サービス産業、文化産業の創出などにより地域事業を創出する。
・「起業」による就業機会の拡大を図るため、ベンチャー企業向けの実践型就業実習の実施や創業・技術経営(MOT)の知識習得のための実効的カリキュラム・講座・ビジネス支援図書館の整備等により、総合的な事業化・市場化支援を推進する。また、創業塾を充実し若手経営者等による「第二創業」の支援を図る。
・大学における知的財産創出、大学発ベンチャー1000社計画や企業発(スピンオフ)ベンチャー支援等による研究開発型ベンチャーの創出、知的財産推進計画の推進、知的技術革新・産業集積の充実を一体的に推進する。このため、最低資本金制度の撤廃の恒久措置化、有限責任会社(LLC)・有限責任組合(LPS)の早期創設、全国レベルでの見本市の開催、起業化支援機能の強化、特許審査の迅速化、投資ファンドに対する支援策の改善等を行う。



若者自立・挑戦プランに基づいて、全国には「ジョブカフェ」といわれる若年者就業支援センターが設置され、私も会社として様々な関わりをもたせていただく中で、若年者就業支援に取り組んできました。

そうした施策の効果があったのか、なかったのか、2000年代前半から半ばにかけて集中的に行われた(リーマンショック後は雇用調整や基金訓練型の施策だった)そうした事業の対象だった世代は、15年ほど経った現在、アラフォー(40歳前後)となっており、いわゆる出産適齢期も終盤を迎えつつあり、第2次ベビーブーム世代とも重なる就職氷河期世代は期待された人口再生産もできないまま、時代だけが流れています。

この世代はバブル世代と、第2次安倍政権以後の景気回復期に初職についた世代との間に挟まれており、ちょうど中間管理職としての活躍も期待される時期にありますが、多くが非正規労働の道を歩まざるをえなかったため、社会全体の生産性にも少なからず影響があると思われます。

さらに40歳台の現在は顕在化していない問題として、「就職氷河期世代の老後」の悲惨さは容易に想像ができます。
無貯金、低年金の人たちが多くなるであろうし、また若年壮年期に様々な金銭的苦労をしてきた中で、健康状態も良いとはいえず、生活扶助や医療費増大の要因になると思われます。一つの試算では、生活保護費の増加だけで数兆円の財源が必要になると考えられています。

私はこうした問題が起きることを、約15年間に考え、一貫して政治・経済の様々な側面から、問題に現場で対処してきました。
2005年8月に上梓した「フリーターっていいの?悪いの?」という拙著に、次のように私は書いています。

フリーターが増加すれば、国家的には経済的損失が大きく、技術伝承の機会も減り、技術レベルの低下から長期的に見れば、社会生産性が低下するということが考えられる。また現在、最も世間を騒がしている話題の一つであろう社会保障問題についても懸念が深まる。


派遣会社は普通、就労企業に対して弱い立場にあることを考えれば、派遣社員は極めて不安定な生活基盤であると言えます。また、アルバイトやパートと比較した場合、時給は高いかもしれないが、事務職の場合、手取りで15万円程度です。預貯金は当然できないでしょう。結婚後、時間を有効に使うために派遣社員という雇用形態を選ぶならわかりますが、ほとんどの登録者はそうではありません。だいたいは未婚の20代後半女性です。
このように考えれば、派遣社員もフリーターと同様ではないでしょうか。一人の営業マンとして、登録者の生活を形成することも当然大切ですが、私は社会構造そのものを変革しないと根本的に解決できないと考え、フリーターを社会からなくすことを目的とした会社の設立を志してそれを前提に会社を退社しました。



2019年夏。
あの時から、もう16年が経ちます。
国は「就職氷河期世代支援」の集中対策を実施する方針を打ち出しました。
人口の再生産には間に合わないかもしれません。
しかし、この世代の幸福感の向上、そして社会全体の経済生産性の増大や、社会保障制度の維持のためには、遅すぎることはありません。
しかしながら実質的にこれが最後のチャンスになるかもしれません。この世代が自立したキャリア形成をしていくためには、50代になってからでは遅い気がします。アラフォーである今、そしてテクノロジーの進展による求められるスキルセットの変化が生じようとしている今であるならば、まだ間に合うかもしれません。

私は今年、多くのものを犠牲にして、単身東京へ来ました。
この就職氷河期世代対策に、少しでも政策立案の場面で関わりたいと思ったからです。
それができるかもわかりません。しかし意思があればきっと道は開かれると信じ、当事者である自分自身の信念を貫き、誰よりもこの問題を考えてきたという自負を抱いて、今しばらくチャレンジをしたいと思っています。


情熱を胸にICON179

    

Posted by 藤井哲也 at 10:07Comments(0)情熱(私の思い)