2007年08月07日
1999年3月21日の日記(6)
女体山頂上から駆け下りる。
話によればそこからおよそ30分ほどで大窪寺に着くことができるという。
車道と遍路道がある。もう遍路道は歩きたくなかった。車道をとる。
再び失敗。
進めど進めどそこに寺の面影は一つもなかった。下り坂が続く。
携帯電話で道を尋ねる。遍路道を取ればおよそ15分ほどでついたらしい。
こちらの道をとれば2時間ほどかかってしまうようだ。
電話した時にはすでに怪しいと思いつつも進むこと40分ほど。
後戻りは出来ないので、その道を進む。道に間違えてはいないので
あろうか不安だけが先行するが、こちらにむかてきた車に道を尋ねたところ
ここから先に大窪寺があることは確かにあるという。
信じて進む。一軒の家がある。
今日予約を取っておいた、大窪寺前の八十窪である。
転がり込むような按配で駆け込んだ。体は変調をきたしていた。
情熱を胸に
Posted by 藤井哲也 at 03:10│Comments(0)
│四国八十八ヶ所の思い出
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