ゆとり世代は本当に競争を嫌うのか?

藤井哲也

2008年05月06日 14:26

今年はゆとり世代が就職する年として有名ですが、

現在就職活動真っ最中でこのGWをはさんで、

決まってきてもう就職活動を辞める人、内定はとり

ながらももう少し続けてみる人、今から始める人、

そして活動は続けているがまだ決まらずあせり始める人

が出てきます。


ゆとり世代は特徴としてあまり競争的ではなく、

基礎的な学力を身につけていない といわれていますが

実際のところはどうなのでしょうか?

基礎的な学力についてはちょっと指導要領がかわってくらいで

国民全体的な水準が劇的に変わることは考えられないと

思いますが、教え方として「ゆとり」を大切にする、思考力を

大切にするというものについてはもしかしたらかわっているのかも

しれません。(しかし現場で見ている限りそれほど昨年と

大差はありません)



それよりも果たしてゆとり世代は競争を嫌うのかといえば、

そのようには思えません。大阪から京都に向かうJRの中には

多くの就職活動中の学生が「○○を受けた」「○○のリクルーターに

この前あった」などという自慢話が延々と会話されています。

「○○は××大学閥だから難しい」といったものや、

「俺は××大学だから楽勝だ」といった会話までです。


他社に対して、またはその会話を聞いている周囲の人(きっと

大声で話すからには自分を顕示したいと思うのですが)に

対して競争意識というか自己優位性を示したいのであり、

それは競争的であり、自分は優れていることを表現している

という状況においては果たしてゆとり世代は競争的ではない

というものは当てはまらないように感じます。


否、競争的ではなくて、もしかしたら自己顕示欲が高まって

きていることがそうした態度として出てきているのかもしれませんが、

「自分らしさ」をもっと出していきなさい、つまり個性を重視する

ことも「ゆとり世代」がこれまで言われ続けてきた言葉なのかも

しれません。



毒ガスを発生させて死ぬこともきっと自己顕示欲体と思います。

他人を蹴落とすことはせずとも、自分を認めてもらいたいという

思いはこれまで以上に強いのかもしれません。ゆとり世代というよりも

単純に時代の流れとして「売り手市場」にある彼らにとっては、

養殖されて ぬるま湯に使って 大切にされているだけであり、

そうした環境においてこそ自己顕示欲は満たされてきますが、

一旦職場に入りその欲求が満たされないとわかれば離職につながり、

場合によっては、他人のせいにし、社会の責任に転嫁し、うちに

こもり社会的問題をおこすかもしれません。


さきにこれからは就職環境は悪くなっていくと仮定する文章も

書きましたが、現在のこうした若年層が就職し、環境になじめず

離職をするとき、そのときは売り手市場ではなくなっていると

思います。彼らは自分を認めてもらうためにどのように行動するの

でしょうか。



きっと競争は嫌いだと思うのですが、他人とは違うということを

表現したい。相対的にだれもがそのように考えるならば、きっと

彼らはこれまで以上にない競争的な意識を持ち、

環境におかれるのではないでしょうか。



向かう先はやはり「大手志向」である。

「○○に受かった」「▲▲から内定をもらったが蹴った」。

それはやはり自己顕示欲であり、他人より良く見られたいという

気質がそのようにしているのではないかと思う。大手であれば

安定的であるという神話を彼らはもう信じていない、それにも

関わらず大手志向であるのは、誰も知らないベンチャーよりも

中小企業よりも、誰もが知っている大手企業、NTTやJAL、

NEC、リクルートに行った方が他人に比較して自分は

価値ある人物だということを伝えるのにはもってこいである。



大手に入ったとき、半年間の研修後、ぬるま湯に使って

組織の壁を彼らは知ることになる。




私は大きな懸念を持つ。

彼らはきっと優秀であるが、あまりにも短絡的過ぎる。

22歳の時に認められることがどれほど社会的に大きなことだろうか?

優秀な人材が入社後数年で退職し、またリスタートをきることの

むなしさと社会的な無駄。国際競争力はますます落ち込んでいくのは

目に見えているし、もっと専門的教育をしていくなかで、自らのキャリアを

会社ではなくやはり、どの道を選ぶのか という視点でこそ

きっと自身の将来も開けるはずだと思う。




結構、JRの中での自慢話はもう聞き飽きてきた・・・。


                         情熱を胸に

関連記事