2020年02月10日
就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント③〈月刊「人事実務」2019年12月号より〉
月刊「人事実務」に寄稿させて頂きました内容を分割掲載しています。
第1回目は、なぜ今、就職氷河期世代支援なのか、そして就職氷河期世代を採用戦力化することによる企業側のメリットを取り上げました。第2回目は、国の動向や厚労省の見解について取り上げました。
第3回目の今回は、就職氷河期世代の非正規ミドルの採用のあり方についてです。
✻ ✻ ✻
就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント③
藤井 哲也((株)パシオ 代表取締役)
5 正社員志望の非正規ミドルの採用
就職氷河期世代の採用・戦力化については、国や自治体の施策が拡充・新設されるなどして、採用のハードルは下がるはずである。どのような点に着眼し、検討していくべきかQ&A方式で提示する。
Q どういうルートから採用できる?
A ハローワークの専門窓口。民間事業者からの紹介やリファラル採用も視野に。
すでに本年度から全国至るところのハローワークで、就職氷河期世代に特化した就労支援窓口が開設されている。名称は「35歳からのキャリアアップコーナー」や、「ミドル支援窓口」、「正社員チャレンジコーナー」など様々である。まずはこの専門窓口に向けた問い合わせが考えられる。社会人インターンシップ制度を活用することも一考しても良い。 また後ほど触れるが、不安定就労が多い地域において、民間教育訓練会社などに対する成果連動型の事業も創設される。このことから、民間会社から紹介される人材の採用も検討してよい。さらに就職氷河期世代活躍支援の機運に乗って専用求人サイトなどが開設される可能性があるだろう。
このほか近年、エンゲージメントや人材リテンションの効用の観点から、注目されている「リファラル採用」(社員や関係者らによる巻き込み型採用・紹介採用)も効果的である。
Q 業界や職種、マネジメントの経験がないがどう評価すればいい?
A 育成枠としての採用を。
業種や職種によってケースは異なるので一概に言えないが、入社早々に即戦力として活躍を期待するのは本人にとっても酷である。プロスポーツを例にとると、新卒や第二新卒者は将来の活躍を嘱望されてドラフトやスカウトで採用し、中途採用者は即戦力になることを期待されて採用する。これに対して正社員希望の非正規ミドルは、野球で喩えると独立リーグ、サッカーで言えば社会人リーグで様々な経験を積んできた人である。人事労務上のマインドセットとしては、即戦力として活躍を期待するのではなく、育成枠として、近い将来に活躍してもらえるように捉えるべきであろう。
実際の選考活動にあっては、職務経歴等を見ると、どうしても見劣りすることが多いように思われる。しかし、実際に面談してみると、有意義な経験を積んでいたり、優れた人間性を持っている人も多数いるはずである。ネガティブな側面を見るのではなく、プラス評価をしていくことが求められる。(欠点を探せばいくらでも出てくる)
また氷河期世代の採用活動にあっては、同世代の社員を採用活動に巻き込みたい。他の世代では分かり得ない境遇にも共感できるはずである。面接の場に同席させたり、または非正規ミドルの大規模な採用戦略を立案するような場合は、企画立案メンバーに参画させることも効果的な施策につなげられるはずである。
Q 仕事以外の経験をどう評価すればいいか?
A 一見、仕事に関係ない経験もジョブスキルに応用可能。成長意欲が重要。
多様な経験を積んできた就職氷河期世代は、複眼的なスケールを用いて採用選考していく必要がある。
筆者が行った研究では、「主体的な子育て経験」は、ジョブスキルとして形成されることが分かってきた。 これまで子育て経験は人格的評価がなされることがあっても、仕事に生かせるスキルとして評価されることはほとんどなかった。仕事に役立つスキルは仕事で身に付けるものという固定観念があったのではないだろうか。
これはなにも子育て経験に限ったことではない。「仕事外の経験」がジョブスキルの形成につながっている仮説が成立することを意味している。例えば子育てや趣味グループの運営、地域活動などで、仕事上と同質の経験を積むことで、いざ仕事においても課題解決につながる動きをとることができるのである。
非正規ミドルの採用活動にあたっては、職務経歴書に書かれていない経験(子育て家事やボランティア活動以外にも、地域活動、趣味・特技、続けてきたこと、苦労してきたことなど)をヒアリングし、コミュニケーションを通じて、なぜ取り組んできたのか、そしてこれまでの経験で仕事に活かせることがないかを探索することも意味があると考えられる。
また同時に重要なのは成長意欲である。筆者が行った別の研究では、「なんとなく」経験してきた場合はスキル化に有意性が見られなかったものの、「意味を持たせて」経験」してきた場合は有意性が見られた。これまでの経験にどのような姿勢で取り組んできた、関わってきたのかも合わせて把握し、選考に活かしたいところである。
Q 非正規ミドルの採用で気を付けることは?
A 健康面。そして転職前後期における生計維持の問題がある。
人事労務担当者が気を付けたいのは本人の健康面である。氷河期世代は現在、30代後半から40代後半に歳を重ねてきており、加齢に伴う変化が身体的、心理的に生じてくる時期にある。さらに低所得が長かった場合や保険の加入状況によっては、健康リスクが高い場合がある。本人に自覚がなくとも一通りのチェックが必要であろう。入社前や試用期間中の健康診断を必ず行うよう心掛けるべきであるし、傷病や休職に関する社内規程の確認や見直し検討も求められる。
また、低所得が続いてきた人は貯蓄がほとんどないということが十分考えられる。生活困窮者等に対する自立支援施策として、行政による住宅付き就労支援などが行われている事例があるように、非正規ミドルの採用においては、就転職による多額の転居等の費用を準備できないこともあり得ると予め知っておく必要がある。都内1ルームで10万円程度の家賃、引っ越し代や礼敷金などで少なくとも30万、40万円が最初に必要になってくる。地方でも20、30万円かかるはずである。さらに最初の給料日まで働き始めてから40日~60日間は貯蓄の中から切り崩していかざるを得ない。非正規ミドルの貯蓄は平均でどのくらいであろうか。筆者はこの問題が正社員希望の非正規ミドルが、正規転換したり、キャリアアップ転職することを妨げている重要な要因だと考えている。逆に言えばこの問題を解消することが出来れば、元来、優秀な素質を持つ非正規ミドルも、うまくキャリア形成していけるものだと感じている。
引っ越し費用の補助や、住宅手当を支弁している事例はあるが、必要に応じて、給与前払い制度や企業独自の補助制度も検討していく必要があると考える。
Q 役立つ助成金はあるの?
A 従来からの助成金に加え、新たに創設される助成金もある。
主に2つの助成金が用意されている。詳細は厚労省ホームページなどをご覧いただきたい。特に特定求職者雇用開発助成金については、民間の教育訓練事業者が委託される成果連動型委託事業との兼ね合いの点(採用後6か月間定着しないと教育訓練会社側は委託金を満額助成されない)から考えて、採用サイドにおいても定着・戦力化までを見据えた効果的な助成金になり得ると考えられる。
〇【従来から継続】トライアル雇用助成金:2年以内に2回以上離職又は転職を繰り返している者、フリーターやニート等で45歳未満の者などの要件に該当する対象者を常用雇用への意向を目的に試行雇用する場合、月額4万円が助成される。
〇【新規で創設】特定求職者雇用開発助成金(就職氷河期世代安定雇用実現コース):安定した就労を希望する35歳以上55歳未満で、就職の時点で失業状態または非正規雇用労働者であり、且つ直近5年間に正規雇用歴が少ない者を採用した場合、中小企業では最大60万円(それ以外は50万円)が助成される。
Q いきなり正社員で採用するのはリスクでは?
A 非正規雇用からの転換や、限定正社員としての採用もオプション。
正社員希望の非正規ミドルを採用するにしても、いきなり正規雇用で採用しようとするのはリスクがあると感じるのは致し方ないことである。試用期間(一般的に3か月間)を経て正規雇用するのが良いが、場合によっては有期雇用契約からはじめたり、本稿の後に事例紹介で取り上げられる山九(株)のように限定正社員として雇用するのも取り得る選択肢であろう。非正規ミドルにとっても、人によってはそちらの方が良いと考えている人も一定いると思われる。
また当初は非正規雇用労働者として採用するにしても、後述するキャリアアップ助成金等を活用して正規転換を図ることも十分に可能である。その場合、本人には「1年後の正規転換のために入社半年後から助成金を活用した教育訓練を行う予定」など、具体的な正規転換の方向性、時期をあらかじめ通知する方が、本人のワークモチベーションの向上にもつながるであろうし、人手不足解消のための採用競争力向上にも寄与するものだと考える。

(2019年12月号の「人事実務」には、私の寄稿以外に、小杉礼子先生の寄稿文や、民間での就職氷河期世代採用の先駆けである山九の事例も掲載されています)
藤井哲也
第1回目は、なぜ今、就職氷河期世代支援なのか、そして就職氷河期世代を採用戦力化することによる企業側のメリットを取り上げました。第2回目は、国の動向や厚労省の見解について取り上げました。
第3回目の今回は、就職氷河期世代の非正規ミドルの採用のあり方についてです。
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就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント③
藤井 哲也((株)パシオ 代表取締役)
5 正社員志望の非正規ミドルの採用
就職氷河期世代の採用・戦力化については、国や自治体の施策が拡充・新設されるなどして、採用のハードルは下がるはずである。どのような点に着眼し、検討していくべきかQ&A方式で提示する。
Q どういうルートから採用できる?
A ハローワークの専門窓口。民間事業者からの紹介やリファラル採用も視野に。
すでに本年度から全国至るところのハローワークで、就職氷河期世代に特化した就労支援窓口が開設されている。名称は「35歳からのキャリアアップコーナー」や、「ミドル支援窓口」、「正社員チャレンジコーナー」など様々である。まずはこの専門窓口に向けた問い合わせが考えられる。社会人インターンシップ制度を活用することも一考しても良い。 また後ほど触れるが、不安定就労が多い地域において、民間教育訓練会社などに対する成果連動型の事業も創設される。このことから、民間会社から紹介される人材の採用も検討してよい。さらに就職氷河期世代活躍支援の機運に乗って専用求人サイトなどが開設される可能性があるだろう。
このほか近年、エンゲージメントや人材リテンションの効用の観点から、注目されている「リファラル採用」(社員や関係者らによる巻き込み型採用・紹介採用)も効果的である。
Q 業界や職種、マネジメントの経験がないがどう評価すればいい?
A 育成枠としての採用を。
業種や職種によってケースは異なるので一概に言えないが、入社早々に即戦力として活躍を期待するのは本人にとっても酷である。プロスポーツを例にとると、新卒や第二新卒者は将来の活躍を嘱望されてドラフトやスカウトで採用し、中途採用者は即戦力になることを期待されて採用する。これに対して正社員希望の非正規ミドルは、野球で喩えると独立リーグ、サッカーで言えば社会人リーグで様々な経験を積んできた人である。人事労務上のマインドセットとしては、即戦力として活躍を期待するのではなく、育成枠として、近い将来に活躍してもらえるように捉えるべきであろう。
実際の選考活動にあっては、職務経歴等を見ると、どうしても見劣りすることが多いように思われる。しかし、実際に面談してみると、有意義な経験を積んでいたり、優れた人間性を持っている人も多数いるはずである。ネガティブな側面を見るのではなく、プラス評価をしていくことが求められる。(欠点を探せばいくらでも出てくる)
また氷河期世代の採用活動にあっては、同世代の社員を採用活動に巻き込みたい。他の世代では分かり得ない境遇にも共感できるはずである。面接の場に同席させたり、または非正規ミドルの大規模な採用戦略を立案するような場合は、企画立案メンバーに参画させることも効果的な施策につなげられるはずである。
Q 仕事以外の経験をどう評価すればいいか?
A 一見、仕事に関係ない経験もジョブスキルに応用可能。成長意欲が重要。
多様な経験を積んできた就職氷河期世代は、複眼的なスケールを用いて採用選考していく必要がある。
筆者が行った研究では、「主体的な子育て経験」は、ジョブスキルとして形成されることが分かってきた。 これまで子育て経験は人格的評価がなされることがあっても、仕事に生かせるスキルとして評価されることはほとんどなかった。仕事に役立つスキルは仕事で身に付けるものという固定観念があったのではないだろうか。
これはなにも子育て経験に限ったことではない。「仕事外の経験」がジョブスキルの形成につながっている仮説が成立することを意味している。例えば子育てや趣味グループの運営、地域活動などで、仕事上と同質の経験を積むことで、いざ仕事においても課題解決につながる動きをとることができるのである。
非正規ミドルの採用活動にあたっては、職務経歴書に書かれていない経験(子育て家事やボランティア活動以外にも、地域活動、趣味・特技、続けてきたこと、苦労してきたことなど)をヒアリングし、コミュニケーションを通じて、なぜ取り組んできたのか、そしてこれまでの経験で仕事に活かせることがないかを探索することも意味があると考えられる。
また同時に重要なのは成長意欲である。筆者が行った別の研究では、「なんとなく」経験してきた場合はスキル化に有意性が見られなかったものの、「意味を持たせて」経験」してきた場合は有意性が見られた。これまでの経験にどのような姿勢で取り組んできた、関わってきたのかも合わせて把握し、選考に活かしたいところである。
Q 非正規ミドルの採用で気を付けることは?
A 健康面。そして転職前後期における生計維持の問題がある。
人事労務担当者が気を付けたいのは本人の健康面である。氷河期世代は現在、30代後半から40代後半に歳を重ねてきており、加齢に伴う変化が身体的、心理的に生じてくる時期にある。さらに低所得が長かった場合や保険の加入状況によっては、健康リスクが高い場合がある。本人に自覚がなくとも一通りのチェックが必要であろう。入社前や試用期間中の健康診断を必ず行うよう心掛けるべきであるし、傷病や休職に関する社内規程の確認や見直し検討も求められる。
また、低所得が続いてきた人は貯蓄がほとんどないということが十分考えられる。生活困窮者等に対する自立支援施策として、行政による住宅付き就労支援などが行われている事例があるように、非正規ミドルの採用においては、就転職による多額の転居等の費用を準備できないこともあり得ると予め知っておく必要がある。都内1ルームで10万円程度の家賃、引っ越し代や礼敷金などで少なくとも30万、40万円が最初に必要になってくる。地方でも20、30万円かかるはずである。さらに最初の給料日まで働き始めてから40日~60日間は貯蓄の中から切り崩していかざるを得ない。非正規ミドルの貯蓄は平均でどのくらいであろうか。筆者はこの問題が正社員希望の非正規ミドルが、正規転換したり、キャリアアップ転職することを妨げている重要な要因だと考えている。逆に言えばこの問題を解消することが出来れば、元来、優秀な素質を持つ非正規ミドルも、うまくキャリア形成していけるものだと感じている。
引っ越し費用の補助や、住宅手当を支弁している事例はあるが、必要に応じて、給与前払い制度や企業独自の補助制度も検討していく必要があると考える。
Q 役立つ助成金はあるの?
A 従来からの助成金に加え、新たに創設される助成金もある。
主に2つの助成金が用意されている。詳細は厚労省ホームページなどをご覧いただきたい。特に特定求職者雇用開発助成金については、民間の教育訓練事業者が委託される成果連動型委託事業との兼ね合いの点(採用後6か月間定着しないと教育訓練会社側は委託金を満額助成されない)から考えて、採用サイドにおいても定着・戦力化までを見据えた効果的な助成金になり得ると考えられる。
〇【従来から継続】トライアル雇用助成金:2年以内に2回以上離職又は転職を繰り返している者、フリーターやニート等で45歳未満の者などの要件に該当する対象者を常用雇用への意向を目的に試行雇用する場合、月額4万円が助成される。
〇【新規で創設】特定求職者雇用開発助成金(就職氷河期世代安定雇用実現コース):安定した就労を希望する35歳以上55歳未満で、就職の時点で失業状態または非正規雇用労働者であり、且つ直近5年間に正規雇用歴が少ない者を採用した場合、中小企業では最大60万円(それ以外は50万円)が助成される。
Q いきなり正社員で採用するのはリスクでは?
A 非正規雇用からの転換や、限定正社員としての採用もオプション。
正社員希望の非正規ミドルを採用するにしても、いきなり正規雇用で採用しようとするのはリスクがあると感じるのは致し方ないことである。試用期間(一般的に3か月間)を経て正規雇用するのが良いが、場合によっては有期雇用契約からはじめたり、本稿の後に事例紹介で取り上げられる山九(株)のように限定正社員として雇用するのも取り得る選択肢であろう。非正規ミドルにとっても、人によってはそちらの方が良いと考えている人も一定いると思われる。
また当初は非正規雇用労働者として採用するにしても、後述するキャリアアップ助成金等を活用して正規転換を図ることも十分に可能である。その場合、本人には「1年後の正規転換のために入社半年後から助成金を活用した教育訓練を行う予定」など、具体的な正規転換の方向性、時期をあらかじめ通知する方が、本人のワークモチベーションの向上にもつながるであろうし、人手不足解消のための採用競争力向上にも寄与するものだと考える。

(2019年12月号の「人事実務」には、私の寄稿以外に、小杉礼子先生の寄稿文や、民間での就職氷河期世代採用の先駆けである山九の事例も掲載されています)
藤井哲也
2020年02月09日
就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント②〈月刊「人事実務」2019年12月号より〉
月刊「人事実務」に寄稿させて頂きました内容を分割掲載しています。
第1回目は、なぜ今、就職氷河期世代支援なのか、そして就職氷河期世代を採用戦力化することによる企業側のメリットを取り上げました。
2回目の今回は、国の動向や厚労省の見解について取り上げます。なお内容については、2019年12月現在の内容です。その後、就職氷河期世代支援加速化交付金などの施策の検討が進められていますが、そうしたものは含まれておりません。
✻ ✻ ✻
就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント②
藤井 哲也((株)パシオ 代表取締役)
3 国の動向・施策
政府は、本年6月に『経済財政運営と改革の基本方針2019~「令和」新時代:「Society5.0」への挑戦~」』を閣議決定した。私も本取組の推進において重きを担う厚生労働省にヒアリングをさせて頂き、どのような施策が展開されることになるのか情報収集に努めるとともに意見も申し上げてきた。
詳細な取組内容は、本年8月30日付の厚生労働省の報道発表資料 で知ることができる。本稿では、多岐にわたるので全ての施策を紹介できないが、例えば、都道府県単位で就労支援基盤を設けて、ハローワークに専門窓口と人員を設置し相談・就労支援体制を充実することや、非正規雇用労働者でも働きながら学べる環境を整備するために、これまで認められてこなかった土日や夜間を含めたオンライン上での学習機会の創出、短期間で獲得できる資格取得支援のための職業訓練を創設したり、これまでは対象者から外れていた非正規雇用労働者の正規社員への採用についても助成金制度が適用されるようになる施策などが挙げられる。
このほかにも、民間の教育訓練会社等に委託して就職氷河期世代が採用・定着に至った場合の助成金制度を設けたり、人材育成に係る助成金申請の手続きの簡素化なども検討されている。2年目以降の施策展開についても、より実効性ある施策が推進されるように鋭意検討が進めている状況にある。

資料出所:厚生労働省「就職氷河期世代支援プログラム」を基に筆者作成
4 厚労省による就職氷河期世代の求職者類型
まず人事労務の視点で就職氷河期世代の採用・戦力化施策を論じていくにあたり、本稿における取組対象を明確にするため、就職氷河期世代の求職者類型を見ておきたい。
2018年度に厚生労働省の委託事業によって、就職氷河期世代に対するキャリアコンサルティング技法が報告書にとりまとめられた。この報告書はキャリアコンサルタント向けに作成されたものではある。ここでは同報告書において、示されている「相談者の類型」を紹介したい。

資料出所:厚生労働省「就職氷河期世代の労働者への支援」2018」を基に筆者が作成
「A-1」の分類は、これまで継続就業を行ってきて一定のスキルや経験を積んできていると考えられるものの、非正規雇用や見かけ上の正規雇用(実態は非正規雇用レベルの就労条件)で働いている方が多いと考えられる。人手不足解消や組織イノベーションの起爆剤という観点からは一番、採用・戦力化のハードルが低いと思われる。
次に「A-2」の分類は、継続就業を行ってきたものの正規雇用は望んでいないという方である。結婚、子育て期の女性に比較的多くみられるタイプと思われる。
「B」の分類は、離転職を繰り返していきたが正規雇用を希望しているタイプ。新聞や雑誌などで多く取り上げられる典型的な就職氷河期世代のタイプである。
最後に「C」の分類は、福祉と就労をセットで考えた労働施策が特に求められるタイプに該当する。
以上4類型が示されているが、本稿では、政府の正規転換30万人計画に即して、主に「A-1」と「B」に該当する対象者(以後、「正社員志望の非正規ミドル」とします。)の採用、戦力化施策について書き進めたい。
藤井哲也
第1回目は、なぜ今、就職氷河期世代支援なのか、そして就職氷河期世代を採用戦力化することによる企業側のメリットを取り上げました。
2回目の今回は、国の動向や厚労省の見解について取り上げます。なお内容については、2019年12月現在の内容です。その後、就職氷河期世代支援加速化交付金などの施策の検討が進められていますが、そうしたものは含まれておりません。
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就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント②
藤井 哲也((株)パシオ 代表取締役)
3 国の動向・施策
政府は、本年6月に『経済財政運営と改革の基本方針2019~「令和」新時代:「Society5.0」への挑戦~」』を閣議決定した。私も本取組の推進において重きを担う厚生労働省にヒアリングをさせて頂き、どのような施策が展開されることになるのか情報収集に努めるとともに意見も申し上げてきた。
詳細な取組内容は、本年8月30日付の厚生労働省の報道発表資料 で知ることができる。本稿では、多岐にわたるので全ての施策を紹介できないが、例えば、都道府県単位で就労支援基盤を設けて、ハローワークに専門窓口と人員を設置し相談・就労支援体制を充実することや、非正規雇用労働者でも働きながら学べる環境を整備するために、これまで認められてこなかった土日や夜間を含めたオンライン上での学習機会の創出、短期間で獲得できる資格取得支援のための職業訓練を創設したり、これまでは対象者から外れていた非正規雇用労働者の正規社員への採用についても助成金制度が適用されるようになる施策などが挙げられる。
このほかにも、民間の教育訓練会社等に委託して就職氷河期世代が採用・定着に至った場合の助成金制度を設けたり、人材育成に係る助成金申請の手続きの簡素化なども検討されている。2年目以降の施策展開についても、より実効性ある施策が推進されるように鋭意検討が進めている状況にある。

資料出所:厚生労働省「就職氷河期世代支援プログラム」を基に筆者作成
4 厚労省による就職氷河期世代の求職者類型
まず人事労務の視点で就職氷河期世代の採用・戦力化施策を論じていくにあたり、本稿における取組対象を明確にするため、就職氷河期世代の求職者類型を見ておきたい。
2018年度に厚生労働省の委託事業によって、就職氷河期世代に対するキャリアコンサルティング技法が報告書にとりまとめられた。この報告書はキャリアコンサルタント向けに作成されたものではある。ここでは同報告書において、示されている「相談者の類型」を紹介したい。

資料出所:厚生労働省「就職氷河期世代の労働者への支援」2018」を基に筆者が作成
「A-1」の分類は、これまで継続就業を行ってきて一定のスキルや経験を積んできていると考えられるものの、非正規雇用や見かけ上の正規雇用(実態は非正規雇用レベルの就労条件)で働いている方が多いと考えられる。人手不足解消や組織イノベーションの起爆剤という観点からは一番、採用・戦力化のハードルが低いと思われる。
次に「A-2」の分類は、継続就業を行ってきたものの正規雇用は望んでいないという方である。結婚、子育て期の女性に比較的多くみられるタイプと思われる。
「B」の分類は、離転職を繰り返していきたが正規雇用を希望しているタイプ。新聞や雑誌などで多く取り上げられる典型的な就職氷河期世代のタイプである。
最後に「C」の分類は、福祉と就労をセットで考えた労働施策が特に求められるタイプに該当する。
以上4類型が示されているが、本稿では、政府の正規転換30万人計画に即して、主に「A-1」と「B」に該当する対象者(以後、「正社員志望の非正規ミドル」とします。)の採用、戦力化施策について書き進めたい。
藤井哲也
2020年02月08日
就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント①〈月刊「人事実務」2019年12月号より〉
2019年12月に「月刊人事実務2019年12月号」に寄稿いたしました原稿を一部改訂の上でご紹介します。
私の前には、労政問題の第一人者のひとりである小杉礼子先生が就職氷河期に関して寄稿されており、また私の後にはいち早く就職氷河期世代を民間で始められた山九㈱の事例が取り上げられています。
ぜひ、本記事に興味関心を持っていただけましたら、「月刊人事実務」をご覧になってください。
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就職氷河期世代の非正規ミドルを戦力化する 人事実務、マネジメント①
藤井 哲也((株)パシオ 代表取締役)
1 なぜいま、就職氷河期世代の採用、戦力化なのか
1990年代半ばから2000年代前半にかけて初職に就いた就職氷河期世代は、現在40歳前後のアラフォーとなっている。この世代の一定数の人たちが不安定な就労状態であったり、低い所得で働いてきたことが低い婚姻率や出生率に影響を与えてきたとされている 。また仮に、このまま老齢期を迎えれば、生活保護費などの多大な社会保障関係費が必要となることが想定されている。
国も2000年代前半から若年者就業支援施策を総合的に行い、近年も超党派議連の政策提言に基づく「正社員転換・待遇改善実現プラン」を推進し、不本意非正規雇用労働者数・率が着実に低下するなど、一定の効果を上げてきたものの 、なお就職氷河期世代の所得水準は低く 、そして正規雇用を希望していながら不本意に非正雇用で働く人も多数存在している(政府推計で少なくとも50万人 )。
本年5月、政府は就職氷河期世代を対象とした今後3か年にわたる支援の取組を行うことを明らかにし、現在、具体的な事業内容の検討や予算編成が進められている。すでに先んじて愛知県や熊本県、大阪府などの自治体でモデル事業が始められつつあり、幾つかの自治体では就職氷河期世代を対象とした職員任用を開始する動きが見られ、10月には経済財政・再生相が経団連に対し同世代の積極採用を要請するなど、にわかに就職氷河期世代の活躍支援に向けた機運が高まってきた。
2 企業が就職氷河期世代活用に取り組むメリットとは
企業にとって就職氷河期世代の採用・戦力化に取り組むことによって得られるメリットはどのようなものだろうか。
まず考えられるのが「人手不足の解消策」である。この10年間で急速に進んできた人手不足の問題に対する解消策として、当該世代の採用、戦力化は十分検討に値すると考えられる。特定技能を有した優秀な外国人労働者が今後増えていくものと思われるが、すでに十分高度な教育課程を卒業し、数多の逆境経験を乗り越えてきた就職氷河期世代にも大きなポテンシャルがある。新卒研修や若年者就業支援施策において、一定のビジネスマナーやコミュニケーション力などを保持しており、不足しているのはそれらの知識やスキルを生かした実務経験という対象者も多くいる。
次に「組織のイノベーション」である。女性の視点から組織に新たなイノベーションを起こそうと男女共同参画から女性活躍に踏み出し、障害者採用も新たな価値に気付く契機と捉えようとするアクションが活発である。ダイバーシティ(多様性)を組織開発やイノベーション、業績向上につなげようとする施策推進の流れである。まさに就職氷河期世代の活用も同様の文脈として捉え、組織にイノベーションなどを起こすための起爆剤として期待することができる。
三つめは、「世代をつなぐ存在」である。現在、企業内部においては40歳代前後の中堅層が不足気味だという声を聞く。就職氷河期の裏返しで、その時期に採用を大きく絞っていたからである。50歳代以上のベテラン社員と30歳代半ばに満たない若手社員をつなぐ存在として、アラフォーとなっている就職氷河期世代の存在を必要とする企業もあるはずである。
もちろんメリットばかりではなく、採用、戦力化にあたっての課題もある。本稿ではそうしだ課題に対して人事労務の視点からどのように取り組むべきか着眼点を提示していきたい。
2020年01月26日
「わたしの2001年→2020年」(後編)
◆なぜ議員を辞め、新たなチャレンジを始めるのか?
ともかくこのような市長と、市政を議論していかねばならなくなった。もはや経済活性とか雇用創出とかという次元の話ではなくなっていたように思う。議員の提言も軽視し、自分のやりたいようにやるという姿勢だったので、議会軽視も甚だしく、たびたび議会と首長は対立してきた。しかし地方自治において首長の権限は絶対である。予算、人材、情報のすべてを持っていて、議会に対しては必要最低限の予算、人材、情報しかない。この中で私はよく頑張った方だと思う。
しかし議員活動2期目が終わりに近づいてきた2018年頃、私はふと思った。私がやりたかったことはこのようなことではないと。2000年前半に見た就労に困っていた若年者、2000年代後半に見た30歳前後の若者たちの悲痛な顔。2010年代後半になってその世代は就職氷河期世代として再びクローズアップされることになるが、私にとって、議員活動8年でどれほどのことが、就職氷河期世代支援のために尽くすことができてきただろうか。地域では多くの支持者の方がいて、私の応援をして下っている。もうすぐ40歳。自分にできることがあるとすれば、もう4年後は難しいと思った。
だから私は大変お世話になった地方議員の仕事を辞めて、再び就職氷河期世代のために活動をしようと決意した。2018年の夏ころだった。支援者の方には夏の終わり時期からお伝えをし始めて、地元の市議会議員に立候補しようとする後継者も決まり、私は新しくも昔からやっているフィールドに戻ることとなった。2019年4月30日は平成の最後の日であるが、この日わたしは議員バッチを置くこととなった日でもあった。
◆この1年間で経験したこと
実は次の活動をどのようにするのかは明確ではなかった。とりあえず市議会議員をこのままやっていても、市議会議長や県議会どまり。ポジションや名誉のために議員になったわけでもなくそれならば、民間の立場で公共の仕事に携わり、そして就職氷河期世代のためにも活動できる立場になりたいという思いだった。ただこれまで熱心に応援して下さっていた方々に議員を引退することには申し訳なく思った。
会社経営を議員活動と並行しながら8年間継続してきていたものの、ビジネストレンドからは置いて行かれているという実感はあった。だから日本における最先端のビジネスセンターである東京に出て仕事をして、まずは仕事観を取り戻すこと、そしてできるならば国会議員や中央府庁の関係者と多く人脈を構築できるような仕事に就こうと考えた。
おかげさまで就労支援や労働政策には関係なかったものの、政府渉外に関わる仕事をITメガベンチャーで得ることができた。市議会議員の時代よりも給与水準は高かったものの、家族は関西、自分は東京ということで二重生活拠点を維持しなければならず、生活水準は低下することになったが、一時的な投資期間だと捉えることにした。
話はさかのぼるが、私は2009年に結婚し、2012年に待望の息子を授かっていた。いまではもう7歳。小学一年生。この時期の子供を置いて、ひとり戦場である東京で仕事をすることに不安はあったが、ビジネスセンスを取り戻し、また人脈形成をするという点に絞り、家族の了解も得て、ひとり武者修行の旅に出ることにした。仕事は勤め先である企業が進めようとしている案件に関して、国会議員や関係府庁まわりをして、サポートをしていくこと。財団法人を設立するにあたり、国会議員に就任して頂くように折衝したり、またはキャッシュレス事業者向けの金融法制の見直しに関して審議動向を随時モニタリングするなど、永田町や霞が関周辺で比較的自由に動き回ってきた。
おかげさまで協力者にも恵まれ、多くの有為な人脈を形成させて頂き、また東京でのビジネススピードにも触れさせて頂き、トレンドを知り、今後の流れをつかむこともできた。またビジネスにおける東京のスタンダードがどのようなものなのかを高い次元で経験することもできたように思う。
◆国ではじまった就職氷河期支援の動き。再び、就職氷河期支援の現場へ!
2019年5月、東京に来てすぐに、就職氷河期世代支援を集中的に始めていこうとする政府方針が示された。そして8月末には次年度概算要求。12月末に予算査定を経て、2020年具体的な施策立案の議論が進められてきた。ちょうどこの間、私は東京にいて、運よく様々な関係者と出会い、また関係議連や会合にも顔を出させて頂いてきた。どのような人たちがどのような思いでこの政策を進めようとしているのか、政策立案の中枢にいる人はどのような人で、どのような考え方をされているのか。それらをすぐそばで見てきた。
これまで会社経営を16年余り、地方議員を8年、そして東京での政府渉外の仕事を約1年。このほかにも地方自治体コンサルティングの仕事や、企業研修講師の経験などさまざまな経験を培わせて頂いてきた。これら経験をミックスした新しい私なりの活動がこれから始まろうとしていると考える。2020年。私はこの東京でお世話になった会社を辞めて、再び自分の足で、就職氷河期世代活躍支援のために取り組みをはじめようとしている。2000年代初頭に感じた若年者の苦悩、2003年に創業し、2011年に議員に立候補、そして2019年に議員を辞めて、東京に修行に出ることを決めたこと、すべてはつながっているはずであり、私自身の血肉となって、これからの活動に生きてくると信じている。
ともかくこのような市長と、市政を議論していかねばならなくなった。もはや経済活性とか雇用創出とかという次元の話ではなくなっていたように思う。議員の提言も軽視し、自分のやりたいようにやるという姿勢だったので、議会軽視も甚だしく、たびたび議会と首長は対立してきた。しかし地方自治において首長の権限は絶対である。予算、人材、情報のすべてを持っていて、議会に対しては必要最低限の予算、人材、情報しかない。この中で私はよく頑張った方だと思う。
しかし議員活動2期目が終わりに近づいてきた2018年頃、私はふと思った。私がやりたかったことはこのようなことではないと。2000年前半に見た就労に困っていた若年者、2000年代後半に見た30歳前後の若者たちの悲痛な顔。2010年代後半になってその世代は就職氷河期世代として再びクローズアップされることになるが、私にとって、議員活動8年でどれほどのことが、就職氷河期世代支援のために尽くすことができてきただろうか。地域では多くの支持者の方がいて、私の応援をして下っている。もうすぐ40歳。自分にできることがあるとすれば、もう4年後は難しいと思った。
だから私は大変お世話になった地方議員の仕事を辞めて、再び就職氷河期世代のために活動をしようと決意した。2018年の夏ころだった。支援者の方には夏の終わり時期からお伝えをし始めて、地元の市議会議員に立候補しようとする後継者も決まり、私は新しくも昔からやっているフィールドに戻ることとなった。2019年4月30日は平成の最後の日であるが、この日わたしは議員バッチを置くこととなった日でもあった。
◆この1年間で経験したこと
実は次の活動をどのようにするのかは明確ではなかった。とりあえず市議会議員をこのままやっていても、市議会議長や県議会どまり。ポジションや名誉のために議員になったわけでもなくそれならば、民間の立場で公共の仕事に携わり、そして就職氷河期世代のためにも活動できる立場になりたいという思いだった。ただこれまで熱心に応援して下さっていた方々に議員を引退することには申し訳なく思った。
会社経営を議員活動と並行しながら8年間継続してきていたものの、ビジネストレンドからは置いて行かれているという実感はあった。だから日本における最先端のビジネスセンターである東京に出て仕事をして、まずは仕事観を取り戻すこと、そしてできるならば国会議員や中央府庁の関係者と多く人脈を構築できるような仕事に就こうと考えた。
おかげさまで就労支援や労働政策には関係なかったものの、政府渉外に関わる仕事をITメガベンチャーで得ることができた。市議会議員の時代よりも給与水準は高かったものの、家族は関西、自分は東京ということで二重生活拠点を維持しなければならず、生活水準は低下することになったが、一時的な投資期間だと捉えることにした。
話はさかのぼるが、私は2009年に結婚し、2012年に待望の息子を授かっていた。いまではもう7歳。小学一年生。この時期の子供を置いて、ひとり戦場である東京で仕事をすることに不安はあったが、ビジネスセンスを取り戻し、また人脈形成をするという点に絞り、家族の了解も得て、ひとり武者修行の旅に出ることにした。仕事は勤め先である企業が進めようとしている案件に関して、国会議員や関係府庁まわりをして、サポートをしていくこと。財団法人を設立するにあたり、国会議員に就任して頂くように折衝したり、またはキャッシュレス事業者向けの金融法制の見直しに関して審議動向を随時モニタリングするなど、永田町や霞が関周辺で比較的自由に動き回ってきた。
おかげさまで協力者にも恵まれ、多くの有為な人脈を形成させて頂き、また東京でのビジネススピードにも触れさせて頂き、トレンドを知り、今後の流れをつかむこともできた。またビジネスにおける東京のスタンダードがどのようなものなのかを高い次元で経験することもできたように思う。
◆国ではじまった就職氷河期支援の動き。再び、就職氷河期支援の現場へ!
2019年5月、東京に来てすぐに、就職氷河期世代支援を集中的に始めていこうとする政府方針が示された。そして8月末には次年度概算要求。12月末に予算査定を経て、2020年具体的な施策立案の議論が進められてきた。ちょうどこの間、私は東京にいて、運よく様々な関係者と出会い、また関係議連や会合にも顔を出させて頂いてきた。どのような人たちがどのような思いでこの政策を進めようとしているのか、政策立案の中枢にいる人はどのような人で、どのような考え方をされているのか。それらをすぐそばで見てきた。
これまで会社経営を16年余り、地方議員を8年、そして東京での政府渉外の仕事を約1年。このほかにも地方自治体コンサルティングの仕事や、企業研修講師の経験などさまざまな経験を培わせて頂いてきた。これら経験をミックスした新しい私なりの活動がこれから始まろうとしていると考える。2020年。私はこの東京でお世話になった会社を辞めて、再び自分の足で、就職氷河期世代活躍支援のために取り組みをはじめようとしている。2000年代初頭に感じた若年者の苦悩、2003年に創業し、2011年に議員に立候補、そして2019年に議員を辞めて、東京に修行に出ることを決めたこと、すべてはつながっているはずであり、私自身の血肉となって、これからの活動に生きてくると信じている。
2020年01月25日
「わたしの2001年→2020年」(中編)
◆順調に事業拡大していた矢先のリーマンショック
最初は京都リサーチパークの1坪オフィスで始めた事業も、事業の拡大とともに社員も増え、京都商工会議所地下室のインキュベーション施設、その後は念願の自社オフィスを京都市中京区に置くことになった。徐々に会社も大きくなりアルバイト社員も含めて10人を超えたころ、職業訓練の委託事業を始めることになった。世間ではリーマンショックによって徐々に失業者が増え始めていた。基金訓練(緊急人材育成・就職支援基金)と呼ばれたこの事業を実施するにあたり、さらに研修ルームを借り上げ、大きな投資を行うことになった。不景気の時こそ成長のチャンスと思っての投資だった。
おかげさまで職業訓練事業も順調に回り始め、また東京オフィスも開設しこれからというタイミングで、2009年頃だったと思うが、一気に雇用状態が悪化し、また委託訓練事業者の乱立によって収益率も低下してきた。なんとか単体で黒字事業だったものの、初期投資を回収することはできず、その他事業からカバーしながらなんとかやりくりしてきたものの、それもままならなくなり、ついに委託訓練事業から撤退することにした。約2年少しこの事業をさせて頂いたと思うが、その中で多くの同年代の失業者や求職者と出会うこととなり、今から振り返ると私にとっても大変貴重な機会だったように思う。同時に東京オフィスもこのころ閉鎖し、本業である就労支援事業と採用コンサルティング事業に特化して、ほそぼそと事業を存続させることでいっぱいいっぱいとなってしまった。
時に現預金が一けた台になることもあり、会社経営者として冷や汗も書いたことが一度や二度ではなかったが、なんとか持ちこたえることができ(その中では申し訳ないことに人員整理もせざるをえなかった)、会社は存続することとなった。
◆2011年。政治行政への道
事業をしていてもその時々の景気に大きく左右されてしまう。どうすれば自分が考えるような就労支援に取り組むことができるのかを塾講する毎日が続いた。そうする中で思い浮かんだのは、政治行政への道であった。京都市が実施する雇用対策事業でも大手企業傘下の人材サービス会社にことごとく負けていた。コンペではいい評価なのだが、最後にはやはり財力の面で不安があると。そればかりはもうどうにもならない。いまから数千万円や数億円の資本を投入できるのであれば何も問題はなかったが、それは無理筋の話であった。
会社経営をしていても、地域の雇用政策に与えられるインパクトはいつまでたっても変わらないかもしれない。それならば政治家になって行政を動かすことができるのであれば、自分の思い描く雇用政策を提言し、大きな予算と人員を活用して、よりよい政策推進に導くことができるのではないかと考えた。2011年4月に地方統一選挙が迫っていた。政治家への道を考えたのは2010年夏くらいだった。ちょうどそのころ、みんなの党という経済人や構造改革を訴える人が中心に集まって結成された政党ができて、参議院選挙でも躍進していた。この政党からチャレンジしようと門をたたき、そして2011年4月の選挙に立候補した。当初は京都市会も考えたが、いろいろと悩んだ挙句、自分の地元への思いが強いことを知り、滋賀県から出ようと。さらに党の中での調整により滋賀県議を目指していたものの、市議からスタートすることとなった。なにはともわれ多くの方から支持を頂戴し、私の政治家活動が始まった。
都合2期8年、このあと地方議員を務めさせて頂くことになった。大津市という町は京都市の隣にある琵琶湖の西南方面に位置する南北に細長い自治体である。人口は34万人。この町で市議会議員として、まずは地域の経済活性化、それによる雇用創出を目指して仕事に取り組むこととなった。1年目が終わるころ、市長が自民党系から民主党系に代わることになり、ここからが大変だった。地域経済団体との関係も悪く、この市長は2期目選挙では大津商工会議所が表立って反対し、対立候補を立てられる始末だった。いじめ自殺事件もあり、部下である職員のマネジメントにも難があって、教育長や副市長が相次いで辞職するという事態に陥った。2期目も同様で市民との対話を重視するという姿勢がみられず、挙句には署名さえも受け取り拒否をするというわがまま放題。結局、何がしたかったのかといえば、「もったいない」という考え方なのだろう、とりあえずお金は使わない、そして人件費は削り、必要である公共投資(消防署建替えや市庁舎改築)も行わなかった。合併特例債という国が70%の財源を負担してくれ、さらに25%の起債ができる特別な事業債があったものの、これを他の補助金が使えるにもかかわらず、ごみ焼却場の整備や中学校給食センターの整備に充ててしまい、3期目は立候補せず引退ということになった。このあと残された大津市は大きな財政出動をせざるを得ない状況で大変な事態になることが目に見えている。
最初は京都リサーチパークの1坪オフィスで始めた事業も、事業の拡大とともに社員も増え、京都商工会議所地下室のインキュベーション施設、その後は念願の自社オフィスを京都市中京区に置くことになった。徐々に会社も大きくなりアルバイト社員も含めて10人を超えたころ、職業訓練の委託事業を始めることになった。世間ではリーマンショックによって徐々に失業者が増え始めていた。基金訓練(緊急人材育成・就職支援基金)と呼ばれたこの事業を実施するにあたり、さらに研修ルームを借り上げ、大きな投資を行うことになった。不景気の時こそ成長のチャンスと思っての投資だった。
おかげさまで職業訓練事業も順調に回り始め、また東京オフィスも開設しこれからというタイミングで、2009年頃だったと思うが、一気に雇用状態が悪化し、また委託訓練事業者の乱立によって収益率も低下してきた。なんとか単体で黒字事業だったものの、初期投資を回収することはできず、その他事業からカバーしながらなんとかやりくりしてきたものの、それもままならなくなり、ついに委託訓練事業から撤退することにした。約2年少しこの事業をさせて頂いたと思うが、その中で多くの同年代の失業者や求職者と出会うこととなり、今から振り返ると私にとっても大変貴重な機会だったように思う。同時に東京オフィスもこのころ閉鎖し、本業である就労支援事業と採用コンサルティング事業に特化して、ほそぼそと事業を存続させることでいっぱいいっぱいとなってしまった。
時に現預金が一けた台になることもあり、会社経営者として冷や汗も書いたことが一度や二度ではなかったが、なんとか持ちこたえることができ(その中では申し訳ないことに人員整理もせざるをえなかった)、会社は存続することとなった。
◆2011年。政治行政への道
事業をしていてもその時々の景気に大きく左右されてしまう。どうすれば自分が考えるような就労支援に取り組むことができるのかを塾講する毎日が続いた。そうする中で思い浮かんだのは、政治行政への道であった。京都市が実施する雇用対策事業でも大手企業傘下の人材サービス会社にことごとく負けていた。コンペではいい評価なのだが、最後にはやはり財力の面で不安があると。そればかりはもうどうにもならない。いまから数千万円や数億円の資本を投入できるのであれば何も問題はなかったが、それは無理筋の話であった。
会社経営をしていても、地域の雇用政策に与えられるインパクトはいつまでたっても変わらないかもしれない。それならば政治家になって行政を動かすことができるのであれば、自分の思い描く雇用政策を提言し、大きな予算と人員を活用して、よりよい政策推進に導くことができるのではないかと考えた。2011年4月に地方統一選挙が迫っていた。政治家への道を考えたのは2010年夏くらいだった。ちょうどそのころ、みんなの党という経済人や構造改革を訴える人が中心に集まって結成された政党ができて、参議院選挙でも躍進していた。この政党からチャレンジしようと門をたたき、そして2011年4月の選挙に立候補した。当初は京都市会も考えたが、いろいろと悩んだ挙句、自分の地元への思いが強いことを知り、滋賀県から出ようと。さらに党の中での調整により滋賀県議を目指していたものの、市議からスタートすることとなった。なにはともわれ多くの方から支持を頂戴し、私の政治家活動が始まった。
都合2期8年、このあと地方議員を務めさせて頂くことになった。大津市という町は京都市の隣にある琵琶湖の西南方面に位置する南北に細長い自治体である。人口は34万人。この町で市議会議員として、まずは地域の経済活性化、それによる雇用創出を目指して仕事に取り組むこととなった。1年目が終わるころ、市長が自民党系から民主党系に代わることになり、ここからが大変だった。地域経済団体との関係も悪く、この市長は2期目選挙では大津商工会議所が表立って反対し、対立候補を立てられる始末だった。いじめ自殺事件もあり、部下である職員のマネジメントにも難があって、教育長や副市長が相次いで辞職するという事態に陥った。2期目も同様で市民との対話を重視するという姿勢がみられず、挙句には署名さえも受け取り拒否をするというわがまま放題。結局、何がしたかったのかといえば、「もったいない」という考え方なのだろう、とりあえずお金は使わない、そして人件費は削り、必要である公共投資(消防署建替えや市庁舎改築)も行わなかった。合併特例債という国が70%の財源を負担してくれ、さらに25%の起債ができる特別な事業債があったものの、これを他の補助金が使えるにもかかわらず、ごみ焼却場の整備や中学校給食センターの整備に充ててしまい、3期目は立候補せず引退ということになった。このあと残された大津市は大きな財政出動をせざるを得ない状況で大変な事態になることが目に見えている。