2007年12月02日
東京にて(2)
上質さとはなにだろうかと夜行バスの中でずっと
考えていました。
上品とは違い、上質さとは品性とかに関係なく、質的なものであるという
ことです。品性と書くと女性の品格であったり、国家の品格といったことが
重いうかばられるのですが、質とは性質であり、うまれもってのものという
感覚で捕らえています。
品がいい人だというのはなにか日本で言うといやらしさを感じます。
あえて気取っている感じがしますし本当のセレブリティではないように思います。
ちょっと近い言葉には「オーラがある」というものがあると思うのですが、
上質であるということは必ずしもオーラを発しているものではないように
思います。ずっと屋台を引いているラーメン屋のおsっさんはわたしは
かなり上質な人もいるはずだと思っているのですが、その人がオーラを発しているかは
別問題で、料理がオーラを発していたり、店がオーラを発していたりするのではないかと
思います。
世の中には自分の知っていることを言いふらしたり、自分こそがすばらしいと
思っている人が最近は身近でもおおいように感じていました。
確かにすばらしい人が多いのですが、その方々を上質であるということは
いえないように思います。上質であるというのは非常に難しいものであると
思うのですが、最近になってというかまだわかっていないのですが
前職の上司に言われたことば「自信と謙虚さの両立」の言葉の深さが
感じられるようになってきました。
東京には高いビルがたくさん建っていますが、それを建設するときには
クレーンが動いています。
クレーンはあれほどたかいところまで届き、しかもかなり重たいものを
動かしているのになぜぽきっと折れたりしないのだろうか?両立というか
バランス感覚はすばらしいと思いました。
情熱を胸に
考えていました。
上品とは違い、上質さとは品性とかに関係なく、質的なものであるという
ことです。品性と書くと女性の品格であったり、国家の品格といったことが
重いうかばられるのですが、質とは性質であり、うまれもってのものという
感覚で捕らえています。
品がいい人だというのはなにか日本で言うといやらしさを感じます。
あえて気取っている感じがしますし本当のセレブリティではないように思います。
ちょっと近い言葉には「オーラがある」というものがあると思うのですが、
上質であるということは必ずしもオーラを発しているものではないように
思います。ずっと屋台を引いているラーメン屋のおsっさんはわたしは
かなり上質な人もいるはずだと思っているのですが、その人がオーラを発しているかは
別問題で、料理がオーラを発していたり、店がオーラを発していたりするのではないかと
思います。
世の中には自分の知っていることを言いふらしたり、自分こそがすばらしいと
思っている人が最近は身近でもおおいように感じていました。
確かにすばらしい人が多いのですが、その方々を上質であるということは
いえないように思います。上質であるというのは非常に難しいものであると
思うのですが、最近になってというかまだわかっていないのですが
前職の上司に言われたことば「自信と謙虚さの両立」の言葉の深さが
感じられるようになってきました。
東京には高いビルがたくさん建っていますが、それを建設するときには
クレーンが動いています。
クレーンはあれほどたかいところまで届き、しかもかなり重たいものを
動かしているのになぜぽきっと折れたりしないのだろうか?両立というか
バランス感覚はすばらしいと思いました。
情熱を胸に

Posted by 藤井哲也 at 00:02│Comments(0)
│情熱(私の思い)
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