2008年01月21日
玉垣勲氏との出逢い
2004年の夏ごろに玉垣勲先生に出会いました。
当時私は京都商工会議所ビジネスモデル推進センターに植西雄司さんの
おかげでアシスタントとしてお手伝いさせていただく身になっており、
ビジネスモデル推進センターが認定する企業に訪問して近況を聞かせて
頂くということをさせていただいていました。
こうした仕事をされていた方の一人に玉垣先生がいました。
玉垣勲先生は京都中央信用金庫を退行されたあと、京都中小企業診断士協会の
会長をされていたり、京都IT協会の会長や、社会保険労務士協会の役員、
保証協会の役員をされていたりとお忙しくされていたのですが、その中で
私にもいつもながら軽口をかけてくださっていました。あるときに一緒に京都リサーチ
パークにある会社に訪問した際に利益を上げることの重要性について喫茶店で
事例を出して教えていただいたことが印象的です。
現在はパシオの監査役になってもらっています。非常に心強い存在であり
パシオのメンバーは総じて若いメンバーばかりなのですがマネジメント層を含めて
玉垣先生のような重しがいてこそだと思います。
そして地震の子どもの頃の貧しい経験、戦争で父親をなくした経験、完全なる
平和主義者、心からほとばしる闘争心を私も持たなければならないと感じます。
情熱を胸に
当時私は京都商工会議所ビジネスモデル推進センターに植西雄司さんの
おかげでアシスタントとしてお手伝いさせていただく身になっており、
ビジネスモデル推進センターが認定する企業に訪問して近況を聞かせて
頂くということをさせていただいていました。
こうした仕事をされていた方の一人に玉垣先生がいました。
玉垣勲先生は京都中央信用金庫を退行されたあと、京都中小企業診断士協会の
会長をされていたり、京都IT協会の会長や、社会保険労務士協会の役員、
保証協会の役員をされていたりとお忙しくされていたのですが、その中で
私にもいつもながら軽口をかけてくださっていました。あるときに一緒に京都リサーチ
パークにある会社に訪問した際に利益を上げることの重要性について喫茶店で
事例を出して教えていただいたことが印象的です。
現在はパシオの監査役になってもらっています。非常に心強い存在であり
パシオのメンバーは総じて若いメンバーばかりなのですがマネジメント層を含めて
玉垣先生のような重しがいてこそだと思います。
そして地震の子どもの頃の貧しい経験、戦争で父親をなくした経験、完全なる
平和主義者、心からほとばしる闘争心を私も持たなければならないと感じます。
情熱を胸に

Posted by 藤井哲也 at 22:27│Comments(0)
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