2020年01月22日

就職氷河期世代の活用について(大学院の研究論文②)


雇用形態や子育て・コミュニティ活動等がスキル獲得に与える影響

   藤井 哲也(京都大学公共政策大学院)


1-4 本研究の動機と目的
 ここまで見てきたように、非正規労働者の増加は、社会全体からみると、所得水準の世代間格差(就職氷河期以後は低い賃金水準の固定化)を招き、それは社会資本の低下や社会秩序の不安定化につながったり、結婚や出産に踏み出したりすることを躊躇する要因にもなり得る。
 私は、初職で人材派遣会社の営業職を経験して以来、現在に至るまで20年近く職業訓練校の運営や教育研修、職業紹介などの事業を通じて、非正規労働者や学生を対象に能力開発支援や就労支援に従事してきた。それは私自身が就職氷河期を体験し、これからの社会の成り行きに強い危機感を抱いてきたからである。
 本研究は、正規労働者と非正規労働者という雇用形態の差異が「実行・達成を支える知能 」としての「実践知」の獲得にどのような影響を与えているのかを、ホワイトカラー労働者を対象として分析するものである。
 そして、非正規労働者の「実践知」の獲得の見通しが正規労働者より低かったとしても、他に「実践知」を獲得できる方策がないかを探索し、検討するためのものである。
 本研究を通じて、少子化の大きな要因ともなっている就労形態の別による能力や所得の格差が生じる社会的課題に対して、新たな労働政策を展望したい。


2 先行研究
2-1 正規労働者と非正規労働者の能力開発機会の差に関する調査
 雇用形態による能力開発機会の差異については、労働政策研究・研修機構が、1万人を対象に行った調査がある 。
 この調査によると、年間20時間以上、職場外の教育訓練(以下、Off-the-Job Trainingの略語である「Off-JT」と呼ぶ)に参加した比率は、正規労働者では21.4%、契約社員で11.9%、パート・アルバイトで5.0%であった。また受講した内容については、「仕事をする上での基本的な心構えやビジネスの基礎知識を習得する研修」は、正規労働者は32.0%、契約社員は41.3%、パート・アルバイトは51.4%であり、「管理・監督能力を高める研修」と「中長期的なキャリア設計に関する研修」では、それぞれ正規労働者は32.1%/9.1%、契約社員は10.9%/0.0%、パート・アルバイトは5.1%/2.9%となっている。
 また職場内の教育訓練(以下、On-the-Job Trainingの略語である「OJT」と呼ぶ)に関しては、「専任の教育係を付けられた」、「仕事の幅を広げられた」、「段階的に高度な仕事を割り振られた」が、それぞれ、正規労働者は7.1%/24.6%/16.8%、契約社員は5.8%/17.9%/9.0%、パート・アルバイトは5.8%/18.7%/13.5%であった。
 総合的にみて、正規労働者の方が非正規労働者よりも、Off-JT・OJTともに能力開発機会は充実していると言える。

2-2 労働者のキャリア形成・技能熟練化に関する職業能力の研究
 次にどのような要素(能力開発機会など)が、労働者のキャリア形成や技能熟練化につながるのかを見たい。
 先駆的に研究を行ってきた小池は、「現代の職場では、一見量産方式でくりかえし作業のように見えようが、実は、おどろくほど変化と異常がおきており、それを上手にこなせるかどうかで、効率ははなはだしく異なる。このノウハウこそが知的熟練」とし、さらに知的技能の形成は、「おもに、はばひろいOJTによる 」とする。
 楠見はどのように労働者が熟練者となるのかについて、国際的な研究を基礎に知的熟練過程を以下の4段階に分類した。
 すなわち、①仕事の一般的手順やルールのような手続き的知識を学習する「初心者」の段階、②定型的な仕事ならば、速く、正確に、自動化されたスキルによって実行できるようになる「定型的熟練化」の段階、③状況に応じて規則が適用でき、さらに文脈を超えた類似性認識ができるようになり、過去の経験や獲得したスキルが使えるようになる「適応的熟練化」の段階、④すべての人が到達できるわけではない、特別なスキルや知識からなる実践知を獲得した「創造的熟練化」の段階である 。
 ところで、このような労働者の技能熟練化のために、日本においても職業能力の定義化や職能に基づく人事考課、目標管理は進められてきた。しかしそれは、「長期の働きぶりで長期の実績をきそう 」ことが可能だった当時の経済・社会環境が背景になったもので、職能評価と態度評価が混在し、また職能等級基準にも課題が残るものであった。
 しかし、世界経済の変化に伴い、内部労働市場を中心とした労働者の能力開発のあり方についても、大きく変化を求められた。米国で長期経済低迷を解消すべく、「ある職務または状況に対し、基準に照らして効果的、あるいは卓越した業績を生む原因として関わっている個人の根源的特性 」という、コンピテンシーの概念を人的資源管理に導入することが1970年代に提唱され、日本においてはバブル崩壊後、新たな人事制度が模索され始めた際に普及した。
 2000年代に入り、フリーター人口が増加し続け、内閣府定義で417万人(2001年)、厚生労働省定義で217万人(2003年)と推計される など、若年フリーターやニート、新卒無業者の増加、その後、非正規労働者の増加も社会的課題として広く認知されるようになった。
 この際、コンピテンシーの概念が人的資源管理から高等教育や職業教育に広げられ活用されることとなった 。 
 OECDが2003年に、「キーコンピテンシー」を定義し、厚生労働省は2004年に「就職基礎能力」を、経済産業省は2006年に「社会人基礎力」、文部科学省は2008年に「学士力」として、学力に捉われない新しい能力としてそれぞれ定義し、その能力向上のために施策展開を進めてきた。
 「社会人基礎力」は、「就職時に企業が求める能力と、学校が考える生徒・学生の能力にギャップが生じている 」という認識の下で、「職場や地域社会の中で多様な人々と共に仕事をしていくために必要な基礎的な力」とされ、基礎学力や専門知識に加えて、意識的に育成していくことが重要と考え大学などの教育機関でその普及が進められた。
 また「学士力」は、「教育の質を保証するために、大学ごと独自に学生の到達目標を定めることが求められ、中央教育審議会では、それを「学士力」として例示した 」もので、専門知識や基礎学力、主体性や人間性・生活態度、課題発見力などとされた。
 これら職業能力の定義化や、その評価・能力向上に係る施策の展開は、それまで重視されがちであった学歴・社歴や基礎学力、専門知識に加え、不確実性が高い社会環境にあって、問題解決力などの「仕事における実践を想定した力」に着目した点で重要な一歩であった。
 しかし社会人基礎力については、「実証的根拠はなお不明確である。前提となる各スキルの測定方法やスキル間の関連性およびその階層性について、データに基づくエビデンスはとくに示されていない」と評され、同じく「学士力」については、「かなり広範なものであり、1つひとつのスキルの内容についての説明は、まだまだ抽象的である 」という指摘もあるように、いずれも評価や能力開発に用いることは難しいと考えられる。
 さらに厚生労働省では、「正社員就職できず非正規にとどまる学卒者など職業能力形成機会に恵まれない人が企業現場・教育機関等で実践的な職業訓練を受け、修了証を得て、これらを就職活動など職業キャリア形成に活用する制度 」として、「ジョブカード制度」を2008年に導入した。
 しかし、この「ジョブカード制度」は一時期、事業仕分け対象となるなどしたが、職業資格を取得するための学習経験や勉強会・講習会への参加経験は正規労働者転換にプラスの影響を与える ことからも、技能の熟練化をどのように社会的に評価していくのかが課題であったと考えるべきである。
 太田は、「どこの企業でも通用する能力を身につけるべきだという認識そのものは正しい」としつつも、「基本的な問題は、どこまでが企業特殊的能力で、どこからが一般的能力かの線引きがきわめて難しい 」とし、「わが国では仕事の分担や責任が明確でないため、能力面や業績面にも主観や裁量が入り込む余地は大きい 」と述べる。能力定義化やその評価に関する取り組みは、いまなお多くの課題を抱えていると認識されている。

2-3 エビデンスに基づく測定可能な能力・スキルに関する研究
 ホワイトカラー労働者に求められる、能力・スキルに関して、各スキル間の関連性や階層性を、エビデンスに基づいて検証し、測定可能な定義・指標として捉えようとする研究が、認知心理学の視点から近年進められている。
 楠見は、ワグナーとスタンバーグらの研究に基づき、「実践知」の構造について、日本の社会人や学生へのアンケート調査を実施し、実践知は日米とも類似的に「タスク管理」、「他者管理」、「自己管理」の3因子に分かれることを見出した 。
 さらに、この3つの実践知のうち前二者を、カッツが提唱した管理職の仕事を支える「テクニカルスキル」、「ヒューマンスキル」、「コンセプチュアルスキル」の前二者に対応づけ、「自己管理」はこれらのスキルをモニターしコントロールする「メタ認知スキル」とし、「コンセプチュアルスキル」は複雑な状況を分析し創造的に解決する概念化スキルとして最上部に布置させた。
 そしてこれらの実践知の基盤となるのが、「経験からの学習態度」や「省察」、「批判的思考態度(クリティカルシンキング)」であるとする、スキルの体系化を行った 。
 その上で、各国における先行研究に基づき楠見は、実践知の獲得は経験年数だけではなく、経験から学んでいく学習能力や態度が重要であると考え、「経験からの学習能力を支える態度の構造」に関しても研究を進め、実践知の獲得との間で、「挑戦性」と「柔軟性」が正相関である結果を得た 。
 そして批判的思考態度などが、野中と竹内が提唱した、知識変換モード(共同化、表出化、統合化、内面化) を経て、どのように経験が実践知獲得につながるのか、スキル間の関連性も含めて共分散構造分析を通じたモデル化を行った。
 分析結果は、「批判的思考態度は、省察と挑戦思考の態度によって支えられ、職場における暗黙知と形式知の知識変換、個人の経験学習と組織学習を活発にすることが明らかになった。これは、個人の経験年数とともにテクニカルスキルの向上に影響を及ぼしていた。さらに、管理職経験はコンセプチュアルスキルを向上させ、職場と仕事の創造的な問題解決を促進する 」というものであった。
このほか木村は、楠見による研究と同様に、挑戦性が経験学習を支える上で重要な態度であることを実証した 。
こうしたエビデンスに基づく実証研究によって導き出された、測定可能な能力やスキル等に関する定義や指標を、本研究における基盤として考える。

           ※全文PDFは京大公共政策大学院ホームページ
 
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