2020年01月22日

就職氷河期世代の活用について(大学院の研究論文③)


雇用形態や子育て・コミュニティ活動等がスキル獲得に与える影響

   藤井 哲也(京都大学公共政策大学院)


2-4 経験がスキル獲得に及ぼす影響に関する研究
 さて、「経験からの学習態度」が実践知獲得に貢献していることは一連の研究で明らかになったものの、「どのような経験」が実践知獲得に影響を及ぼしているのかを、デューイに始まる経験学習理論 の観点からより俯瞰的に見る必要性がある。
 経験学習理論は「「能動的実験・具体的経験」と「内省的観察・抽象的概念化」という二つのモードが循環しながら、知識が創造され,学習が生起する 」とコルブが示したモデルが一般的に知られる。
 経験からの学習に関して、日本で先駆的な研究を行ってきた松尾は、「経験の量的側面である「経験の長さ」が業績とどのような関係にあるかが分析されてきた」ものの、「経験年数と経験内容がどのように関係しあっているのかを検討した研究は見られない」ことを述べた 。
 こうした先行研究が残した課題に対して、松尾は、営業職の経験が現在の業績にどのように寄与しているのかを分析し他の業種や職種と比較する中で、「経験学習プロセスにも領域固有性が存在する」とした。つまり、業種や職種などの「経験の内容」により成長パターンが異なることを指摘した 。これは、「ホワイトカラー職種において、能力開発に適した方法が、仕事の性格によって異なる 」とした、労働政策研究・研修機構の研究においても言及される。
 また楠見・金井他は、管理職やIT技術者、教師や看護師、デザイナーらの領域ごとの実践知が、どのような経験を経て獲得されるのかを詳細に描き出した 。
 さらに木村らは、独自に経験学習尺度を作成し、中原が作成した能力向上尺度 や、楠見の経験からの学習を支える態度尺度 を用いて分析を行い、同僚や上司からの内省支援や業務支援を受けながら経験を通じた能力開発が進められるプロセスを明らかにした 。

2-5 雇用形態とスキル獲得との関係に関する研究
 経験からの学習に関して本研究で取り上げる、雇用形態とスキル獲得との関係性について研究したものは少ないが、塩谷のものがある。
 塩谷は、対人コミュニケーションの技能として「ソーシャルスキル」を位置づけ、当該スキルの高低によって雇用形態に差異が生じる可能性を実証した。
 それと同時に、「ソーシャルスキルの高い者が正規雇用の職を得たのではなく、正規雇用者としての就労経験が就職後にソーシャルスキルを高めた可能性」についても言及し実証分析を行ったところ、有意な結果は得られず翻って塩谷の仮説を補強するものとなった 。
 しかしながら、離学後一貫して正規労働者は正規労働者として、また非正規労働者は非正規労働者として就労してきたことを前提とする点 や、本稿で取り上げる実践知のうち、「ヒューマンスキル」と類似性が認められる「ソーシャルスキル」のみを独立変数としている点において、さらなる検証の余地がある。
 確かに、非正規労働者から正規労働者への転換は一般的に困難であるが、佐藤による調査では、正規への移行経験がある初職非正規の比率は41.1%であったこと や、独立行政法人労働政策研究・研修機構が行った30歳代を対象とした調査では、5年前に非正規労働者であった男性のうち20%以上が正規労働者へ雇用形態を転換している など、現在の就労形態をもって一概に当該雇用形態での就労年数とするには無理があると考えられる。

2-6 本研究の特色
 ここまで、経験を通じた実践知獲得に関する研究を検討してきた。
 本稿の研究動機が、就職氷河期以後の非正規労働者に対する効果的な労働政策を模索するものであることを踏まえ、まずは正規・非正規の就労経験年数と実践知獲得との関係性に、どのような差異があるかを定量的に分析したい。
 さらに、実践知はなにも仕事の場のみによって得られるものではないと考えられる。
 先述した楠見による知的熟練過程の第3段階では、文脈を超えた類似性認識ができるようになり知識やスキルの援用が可能になるとされる。また発達心理学の観点では、キャリアは「労働者」、「子ども」、「学生」、「余暇人」、「市民」、「家庭人」の6つの生活役割が、相互に影響しあい形成されていくものと考えられており 、またフィッシャーが提唱した「能力の発達に関する5つの変容原則」の考え方 に基づけば、職務外の経験を通じて獲得された能力も職務内の課題に対して代用化し実践知として活用できるとも考えられる。
 すなわち、子育ての経験、または自治会やPTAなどの地域活動や非営利組織へのボランティア活動などの経験は、正規労働者が仕事上で得られる経験との間で、代替性や補完性があるものと考えられるのではないだろうか。
 子育ての経験が実践知獲得に寄与するとする研究はこれまで見られないが、非営利組織については、佐藤がピーター・センゲ等の学習理論を踏まえて、「NPOは個人のもっている能力・知識や経験を集団的に共有し、リーダーやスタッフが集団としての知を形成し、共同性の再構築にむけて相互支援的な事業を推進しつつ社会に働きかけていく。この過程にNPOとしての特徴的な教育力をみいだすことができる 」としているように、非営利組織への主体的な参画が、実践知を獲得できる手段であることを示唆している 。
 本稿での政策検討は、子育ての経験が持つ価値を明らかにし育児休業後の就労との架橋にも貢献するものとなるであろうし、また地域活動や非営利組織へのボランティア参加を促進し、「新しい公共」の時代に相応しい社会的参画の意義を再認識することにもつながるはずである。
 なお、松尾が示した研究モデルに即して本研究を位置づけた場合、図3のようになる。経験学習の中で雇用形態が与える影響を分析し、また子育てやコミュニティ活動がキャリア形成過程において意味を持つのかを問うものである。


3 仮説及び調査方法

3-1 仮説
 本稿では、次の3つの仮説を立てて、それぞれ検証を行うものとする。
 (仮説1):「正規労働者」の就労年数は、有意に、実践知の獲得につながる。
 (仮説2):「正規労働者」以外の就労年数と、実践知獲得との関係性は、有意ではない。
 (仮説3):一定期間の子育て経験や社会活動は、有意に、実践知の獲得につながる。

3-2 調査方法
 マーケティングリサーチ会社(調査委託先:株式会社マクロミル)にモニター登録している20歳から50歳の者のうち、現在、正規労働者として働く250名、契約社員や派遣社員として働く非正規労働者350名の計600名を目標に調査を行った。
 質問紙の作成にあたっては、従属変数となる「実践知」に関しては、楠見が実践知のスキルレベルを自己評価させるために作成した質問 の中から9問を選定した。
 また独立変数に関しては、「雇用形態別の就労経験年数」や「子育て・自治会などの活動(共に3年以上の経験)の有無」に関する質問は、独自に作成したものである。「批判的思考力」は、平山・楠見が作成した短縮版(12問) を用い、「経験からの学習態度」は、楠見が作成した質問紙 の中から合計9問を用いた 。
 統制変数として用いる「学歴」は、中途退学を含めて中学/高校・高等専門学校/短大・専門学校/大学・大学院の中から選択できるようにした。
 なお、調査に用いた質問項目を巻末に掲載する。

3-3 調査概要
 2017年12月15日から19日の5日間にかけて調査を行い、現職が正規労働者である260名と、契約社員・派遣社員355名の合計615名から回答を得た。
 先行研究を踏まえて、ブルーカラー職(「生産・製造・工事」、「保安」、「調理接客」の経験年数が本人の就労年数の過半である者)と判断した者を標本対象から除外したほか、就職氷河期世代の前後において企業内の能力開発環境や賃金の固定的格差(世代効果)があるとする先行研究を踏まえて、46歳(1993年に、22歳の時に大学を卒業したと想定)以上の年齢の回答者、虚偽回答と分かる者などを除外した。
最終的に、現職が正規労働者である133名と、契約社員・派遣社員である172名の、「合計305名」(平均年齢35.2歳)を、分析に用いる標本とする。


4 分析と考察
4-1 分析方法
 (仮説1)と(仮説2)を検証するために、「実践知」を構成する3要素「テクニカルスキル(9点満点)」、「ヒューマンスキル(9点満点)」、「コンセプチュアルスキル(9点満点)」の合計点数をもって、従属変数たる「実践知(27点満点)」とし、「正規労働者としての就労年数」及び、「正規労働者以外の雇用形態での就労年数」のほかに、「経験からの学習態度」の代理指標として、「批判的思考力(60点満点)」と「挑戦性(15点満点)」、「柔軟性(15点満点)」の3つ要素を用いた。
また、(仮説3)を検証するために、子育てまたは社会活動の経験が3年以上ある者を「1」とし、未経験か3年未満の者を「0」とするダミー変数として、独立変数に加えた。
 さらに、「年齢」及び「学歴」の2項目を統制変数として加えることを検討したが、このうち「年齢」については、「正規及び、非正規の就労年数」の和との間で、多重共線性の傾向が見られたことから(VIF:9.34)、統制変数としては「学歴」のみを用いることとし、以上の変数をもって重回帰分析を行う。
 なお、「正規労働者としての就労年数」及び、「正規労働者以外の雇用形態での就労年数」の間には多重共線性の影響が低いため(VIF:1.32)、回帰式には両変数を同時投入することとする。
 以上の分析結果が、「正規労働者としての就労年数」は有意に「実践知」の向上(係数がプラス)に寄与しているのであれば、(仮説1)は正しいと考えられる。
 また、「正規労働者以外の雇用形態での就労年数」と「実践知」との間の回帰分析結果が、仮に有意でなければ、(仮説2)も正しいモデルであると考えることができる。
 そして、「子育て、または社会活動の経験が3年以上ある」という独立変数が有意であるならば、(仮説3)も正しいモデルと言えるだろう。
 なお「実践知」の点数化は、楠見の先行研究 に倣うものとし、テクニカルスキル、ヒューマンスキル、コンセプチュアルスキルに関しては、能力定義に対する自己評価を「初級=1、中級=2、上級=3」とし、3つスキルごとの和を当該スキルの得点とし、3つのスキルの合計点を「実践知」とした。「批判的思考力」並びに、「経験からの学習態度(挑戦性、柔軟性)」については、5点法を用いて、「非常に当てはまる=5、当てはまる=4、どちらとも言えない=3、当てはまらない=2、非常に当てはまらない=1」とした。そして、「教育年数」については、中途退学を含む最終学歴をそれぞれ、「高校=3、短大・専門学校=5、大学・大学院=7」として用いる。

4-2 分析結果
 各仮説に対する分析結果は以下の通りである。

就職氷河期世代の活用について(大学院の研究論文③)


4-2-1 仮説1に対する分析
 正規労働者の就労年数が、実践知獲得につながるとした仮説は、1%水準で有意であった。
 実践知の内訳をみると、テクニカルスキルとコンセプチュアルスキルが有意で、係数もプラスであった。

4-2-2 仮説2に対する分析
 続いて、非正規労働者としての就労年数は、実践知獲得との関係性において、有意な結果を見ることができなかった。
 実践知の内訳をみても、いずれのスキルにも有意に影響を与えていない。

4-2-3 仮説3に対する分析
 最後に、子育ての経験や主体的なコミュニティ活動への参画は、実践知の獲得につながるとする仮説は、5%水準で有意であった。
 なお、正規/非正規の就労年数以外には、「批判的思考力」や「柔軟性」、「挑戦性」などの「経験からの学習態度」についても、それぞれスキル獲得に有意に影響を与えており、楠見の先行研究とも概ね一致している。一方、「学歴」は有意ではない結果であった。調整済み決定係数は、0.16であった。

4-3 仮説検証                 
 分析結果により、仮説について明らかになったことは、以下の通りである。
 1.就職氷河期以後の「正規労働者としての就労年数」は、有意に、「実践知」の獲得につながっていることが分かった。
 2.就職氷河期以後の「正規労働者以外の雇用形態による就労年数」は、「実践知」の獲得において有意性はみられなかった。
 3.「子育ての経験や自治会やPTAなどの社会活動」は、「実践知」の獲得につながっていることが分かった。
 以上のことから、現在、概ね45歳以下とする就職氷河期世代より後世代について、(仮説1)と(仮説2)は正しいことが実証された。
 また、子育ての経験や自治会・PTAなどの役員経験といったコミュニティ活動への主体的参画も、「実践知」の獲得に寄与するとした、(仮説3)も正しいと言える。


               ※全文PDFは京大公共政策大学院ホームページ



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