2020年01月24日

「わたしの2001年→2020年」(前編)

◆なぜ私は就職氷河期世代支援に取り組むのか?
 就職氷河期。一般的には1993年から2005年までに学校を卒業し初職に就いた人を指す。実際に就職環境が数字上、悪化したのは97年頃から2003年頃であったが、1990年代初頭にバブルが弾けて以後は日本型雇用慣習の気風が薄れ、成果型人事制度が普及し始めたこともあり、一旦初職を早期に離れてしまうと、雇用環境が悪く再就職が厳しかったためか、この世代におけるキャリア形成は困難に面していた。
 私も2001年に大学を卒業し四苦八苦して内定を獲得したひとりであるが、当時の就職環境は今でも時々思い出すことがある。また偶然か、私が就職した企業は人材派遣を主力事業としていたため、同世代を含め若年層の多くが不本意な就職をせざるを得ず、または就職ができずに、非正規労働市場へ巻き込まれていくのを目の当たりにした。非正規社員を大切に使う企業もあれば、当時の風潮でもあったかもしれないが、人使いが大変荒い企業も数多く見てきた。労働市場が買い手市場だったことも影響しているかもしれないが、正社員に対してさえ、過酷なノルマを課し早期退職する者が続出していた。1年間で新卒入社した社員の5割が辞めるという職場も普通にあったように思う。今では確実に「ブラック企業」認定されるだろう。
 さらに非正規雇用の置かれた立場は厳しいものだった。3か月ごとの更新制の雇用契約、場合によっては1カ月ごとの契約というのも私が担当した企業であった。来月、働く場所がなくなるということを怖れながら、日一日と働き続けることの疲労感はどのようなものであろうか。ダブルワークならぬトリプルワークに従事するシングルマザーの執念にも驚いた記憶がある。2人の子供を必死で育てるために、朝4時から弁当製造工場で働き、昼は別の仕事、夜は飲食店で働いていたそうだ。一日の睡眠時間は2、3時間だという。なぜ彼女があのように明るく仕事をすることができていたのか。とにもかくにも私が就職した時代背景、そして最初の職場での仕事を通じて得た様々な経験。それが私が就職氷河期世代の支援に取り組む原点であった。

◆2003年、24歳で会社を創業。
 2003年、私は2年間の営業職の修業を終えて、自分の会社を立ち上げることにした。2年間の人材派遣会社での就業の中で出会った様々な人たちの横顔が脳裏に浮かび、また大阪の雑踏の中でさまようホームレスの方の顔も思い出される。いまの若者たちがこのような働き方をしていたら、いずれホームレスになるか、生活保護を受けざるを得ない立場になるのではないだろうか。非正規で延々と働く中で得られるキャリアのも能力も限られたもので、また月々15、6万円程度の給与しかもらえないため貯金もできなければ、年齢とともに低下する労働市場における市場価値に合わせて、生活困窮する姿が目に見えるようだった。個々人の若者にとっても大変であるが、それが世代全体、社会全体から見ると、この就職氷河期世代が年齢を重ねた時に、将来は大きな荷物になるのではないだろうか。この世代のために果たして、国や他の世代は多大な社会保障費を負担してくれるだろうか、そもそも、そのような財力がその時、この国に残っているのだろうか。
 私が創業したときの主力事業は、フリーター向けの求人サイト。新卒向けの求人サイトはすでに乱立しつつあったが、既卒者、とりわけ早期退職者や若年非正規雇用者向けの求人サイトは私が知る限り当時見当たらなかった。(その後、リクルートがフリーペーパー「タウンワーク」のウェブ版を開始するなどした)また同年、始まったのが日本で初めての若年者を対象とした就職支援事業だった。
 2003年、小泉純一郎内閣における「骨太の方針」において、増え続ける弱年非正規雇用者・無業者にスポットライトが当たり、都道府県単位で若年者就業支援センター(ジョブカフェなど)が設立され、従来の高齢者等向けが中心だった雇用政策の転換が図られることとなった。若年者就業支援の主な事業内容は、第二新卒層から概ね35歳までを対象とした「若年者」に対して、就職が有利になるようなビジネスマナー、パソコンスキル、面接講座などの職業訓練、面接対策やキャリアアドバイス、仕事の紹介などワンストップで職業訓練と職業紹介を受けられるものであった。私はこうした事業の中で、社会人の先輩として講義をさせて頂いたり、また企業向けのセミナーにおいて若年層の特性や採用におけるポイントなどを話させて頂くなど、事業の一部を担わせて頂いた。
 同時にインターネットによる就職活動、採用活動が加速度的に進んだ時期でもあり、それに対応した自社商品の開発やリリースにも積極的に取り組んだ。CMSと呼ばれるウェブサイトの専門知識がない人でもウェブサイトをワード感覚で作成することができるシステムを活用した求人サイトパッケージを日本で最初に発売したり、または求人サイトに実装可能な適性診断テストを研究開発したりしてきた。これらは新聞やテレビ局など多くのマスコミにも取り上げて頂き、会社全体が大変盛り上がった時期でもあった。




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