2007年07月31日
1999年3月18日の日記(2)
この旅で多くの方と出会ったのであるが、多くの方はすぐに別れて
もう一生会えなくなってしまうのである。一期一会という言葉が身にしみて
感じてくる。
道路をずっとまっすぐに行き少し入っていったところに第七十一番の弥谷寺の
上り口があった。そこまでの道であの雲辺寺の麓の民宿で宿をともにした
方とも出会った。足のほうはやはり相当痛いようだ。弥谷寺までの道は
自分としてはそれほどのものを感じなかったのであるが、その方にとってみれば
相当なことであったに違いない。その方の調子にあわせてゆっくりと歩いていると
こちらの調子もおかしくなってきた。少し疲れがたまってきた。
その方は先に行ってくれるように頼まれたのでそうすることにする。
平坦な道に出て、そこに大きな駐車場。そこを更に登ると小さな茶店がある。
そこで荷物を置かせてもらうことにして最小限の荷物を手にして登っていく。
軽いと身のこなしもよくなり、気分良く順調にかけあがれる。
岩を利用した階段を登っていき、朱塗りの階段がそれに続く。街を一望
できる険阻なところに本堂がおかれてある。その中に納経所があり、
早速済ませる。少し休憩。再び足を進めることにする。今日の予定は、
結構過密なのでこんな出だしのところで余韻に浸っている暇はなかった。
情熱を胸に

2007年07月31日
1999年3月18日の日記(1)
ビジネスホテルのため、朝食抜きで宿を発つ。六時三十分である。
足の調子もまったく異常なし。疲れもそれほどなくて好調である。
肩の重さも感じず、この調子で良くと本当にあとわずかのような気がしてきて、
この旅をもう少し長くやっていたいという郷愁の念に近いものを感じるように
なってきていた。
一面にはもはや山の脅威は感じないような人工的な建造物が立ち並び、
逆にその人工物に威圧感を感じるようになってきている。本来、人工物は
自然を元にして作られているのだから、その構造は自然との調和が
絶対条件のはずである。弱肉強食ということなのであろうか、人はいつか
自然の力を軽視しすぎている。自然は恐ろしいし、同時に感動を与えてくれる
要素をもっている。自然とは人間を超越するものであり、すでにそこに存在する
ものであるし、運命である。
宿を出ようとすると、昨日のあの僧の方が一介の部屋から出てこられた。
同じ宿にとまっていたようだ。また同行させていただくことになった。
その方は弘法太師が生まれたという海岸寺に行くとのことで途中まで
一緒にいくことになった。喫茶店に入る。その方は以前はホストをやっていた
ということであり、10年ほど前に遊びから手を引き、仏門に入ってこられた
ということである。なるほど、普通の僧の方にくらべて頭が非常に柔らかいし、
仏教崇高者でもない。相対的に見て仏教をその生きる手本のひとつとして
採られているようである。喫茶店でモーニングを頂いてそこを出て、その方とは
別れる。名残惜しく感じる。
情熱を胸に

2007年07月31日
四国の思い出を
参議院選挙では四国選挙区はすべて民主党が勝ったようです。
四国に行った事があるからならわかると思うのですが、
そこは本当に自然がたくさん。
足摺岬や四万十川、室戸岬などの太平洋側の美しさ、
そして山間部の厳しさ、普段都会とはいえないですが、
何でもそろう環境に住んでいると思うのですが、本当にそこには
なにもなく、自然とただ対峙する自分と見詰め合う環境がそこには
ありました。
1999年、19歳のときにまわった四国の思い出を日記から
書いていき、初志貫徹、私の思いをさらに強く持っていきたいと思います。
情熱を胸に

2007年07月31日
1999年3月17日の日記(7)
しばらくしてそこを立ち去る。そこからすぐのところに宿を取っておいた。
本大温泉ビジネスホテルである。
アパートのようなところのカギを渡されてそこにはいる。本当にアパートのよう
である。居心地も少し悪いが仕方がない。夕食は外にある同じ会社が
経営している食べ物屋に入って食べる。飲み屋みたいな雰囲気であり、
一介の歩き旅をしているような人が入れるような感じではなかったが、
早々夕食を済ませ、元の宿に戻っていった。
残る寺もわずかに感じるようになってきた。
情熱を胸に

2007年07月31日
1999年3月17日の日記(6)
そこまでの道程は思わぬことで困難を極めることとなった。
寺を出て少し歩いているうちに例のごとく方向が分からなくなってしまい、
道を尋ねる事にしたのであるが、道を聞いた人が八百屋の方であった。
道を教えてくださり、そちらに足を向けえようとすると密柑とバナナを
5つずつくらい接待としてくださったのである。なにしろ、この手荷物は
かなりのおもさである。食べながら進んでも一向になくなる気配がないので
肩にかかる重量は一気に増していった。
また密柑の種も厄介であった。そして食べながら進んでいたのですこぶる
歩くスピードが低下していき七十番につくのにかなりの時間を要すことになった。
大きな橋を渡り、鳥居をくぐると広い寺が存在する。遠くからもそれとわかる
ほである。第七十番本山寺。
この寺は国宝があってたいそう建築も見所があってよい。
納経の時間一杯であったのでそちらに先に足を向けてとりあえず納経を
おわらせた。経の日程も終わりだったので、その広い境内を少し見て回る
ことにした。とにかく広広としていい感じである。河の側にあるためか
独特のあのなんともいえない雰囲気をもっているし、重厚感溢れる境内の
建物が目に付く。遍路の人以外の人が見るならば、この景観は殺伐と
映ってしまうかもしれない。それほど配置も建造物も洗練されていて、
普遍性を持ち合わせている。
情熱を胸に
