2021年01月06日

本年もよろしくお願い申し上げます(2021年新春)



新年あけましておめでとうございます!
旧年中はひとからならぬご厚情を賜りまして、誠にありがとうございました。
本年も変わらずご厚誼のほどお願い申し上げます。

パブリックXを昨年4月1日に立ち上げてから、間もなくコロナウイルス蔓延による
緊急事態宣言の状況となり、事業活動でも多大な影響がありました。
主に行政向けの事業を展開していることから、年間を通じた売り上げに与える
影響という点では軽微でありましたが、昨年の前半はほぼ行政が動けず、
スケジュールが後半に詰まって、予定していた通りの進捗が描くことが難しかったように思います。
そのため、しわ寄せが年度後半のこの時期に一気にきており、すべての案件が、
年度末の納品に向けて一斉に動いており、品質管理の点から、年末は心身ともに厳しい状態と
なっておりました。

年が明けてようやくひと段落した感がありますが、コロナウイルスの再拡大により、
今年4月以降の動きもなかなか見通せず、事業に心配の種は残りますが、
引き続き、今年もパブリックXが掲げている理念に従い、
官民共創による雇用創造をめざし鋭意取り組んでまいります。

今年のテーマは、『共に奮う』という言葉にいたしました。

春先にひとつ、久しぶりの新規事業も立ち上げていく予定となっており、
また引き続いて就職氷河期世代に向けた就労支援にも携わっていきます。
そうした中で、かかわる皆さんとともに力を合わせて、頑張って取り組みたいという思いを
強くしています。

「奮う」という字は、よく調べてみると、「田」から「とり(隹)」が飛び立つ様子からできたそうです。
まさに、自分にとってはぴったりの一字。
今年はこれまでの経験を糧に、飛び立つ一年にしたいと考えています。


京都信用金庫クエスチョン3階
1月から自宅近くにオフィスを借り、そちらで仕事を進めることとしました。
京都信用金庫さんが京都市役所前で運営される「QUESTION(クエスチョン)」という施設です。
1時間以内ならゲストの方も打ち合わせ等で入館できるそうです。
お打ち合わせがありましたら、ぜひこちらでさせて頂けましたら幸いです。




藤井 哲也
  


Posted by 藤井哲也 at 16:18Comments(1)情熱(私の思い)

2020年12月06日

地方自治体において、就職氷河期世代活躍支援ですべきこと!


滋賀県の就職氷河期世代支援に関する取り組みで、第1回目のマッチングイベントが先日、開催できました。
私もこの取り組みに中心的に取り組ませて頂いており、なんとか無事にイベントが開催できて大変良かったと思います。
おかげさまで、氷河期世代当事者の皆さんのご評価、そして協力してくださった企業様のご評価ともに高く、2回目のイベントの開催に向けて、改善しながら、より良いイベントにしていきたいと考えています。
今回参加していただいた方には、なんとか正社員や安定的な仕事につき、生活基盤を確立していただけるように、引き続き、サポートに努めていきたいと思っています。

さて。いくつかの自治体の就職氷河期世代支援野の取り組みに関わらせて頂き、現時点における地方自治体においての課題、そして求められる動きについて見えてきた部分がありますので、自分なりの見解を少しまとめていきたいと思っております。

1点目は、対象者(就職氷河期世代で支援を求める人)が埋もれてしまっていることです。
2点目は、企業の採用モチベーションが低いことです。
そして3点目は、企業や社会が求めるスキル水準と、非正規経験が長い方の有するスキル水準との間にある壁をどう解決するかという問題です。

自治体にとっては、もちろんお金さえあれば、無制限に取り組めると思いますので、経費・財源の問題はあると思いますが、就職氷河期世代活躍支援の加速化交付金も準備されているので、今回は上記3点について、まとめていきたいと考えています。(次の記事から)


藤井哲也

  

Posted by 藤井哲也 at 18:18Comments(0)情熱(私の思い)

2020年10月29日

神奈川県主催の就職氷河期世代採用・活用セミナーに登壇しました!



 先日、オンライン開催されました神奈川県主催の就職氷河期世代採用・活用セミナーに講師として登壇させて頂きました。
 大変貴重な機会を頂戴し、ご関係者の皆様に感謝申し上げます。
 もう一度、来月に同じ神奈川県さんのイベントに登壇をさせて頂くことになっております。頑張ります。






 本拠である京都府・滋賀県だけではなく、各所から氷河期世代支援に関する事柄について、ご相談を頂戴しております。
 誠にありがたく思っております。

 引き続き、氷河期世代の活躍推進に関して、取り組んでいこうと思っております。
 就職氷河期世代支援に関するセミナー講師、寄稿執筆などのご依頼がございましたら、
 ぜひ積極的に力を入れて取り組んでいきますので、お問い合わせくださいませ。
 会社ホームページのお問い合わせからご連絡して頂いても大丈夫です。


藤井哲也

   


Posted by 藤井哲也 at 13:51Comments(0)情熱(私の思い)

2020年10月04日

「京都オープンイノベーションネットワーク(KOIN)」アクセラレータプログラムのメンターに就任しました


10月から、一般社団法人京都知恵産業創造の森が企画運営する「KOIN(京都オープンイノベーションネットワーク)」が実施する起業家輩出・育成プログラム【KOIN ACCELERATOR PROGRAM】のメンターに就任しました。



▶︎アクセラプログラムWEBサイトはこちら


2003年から約1年間、京都商工会議所ビジネスモデル推進センターのアシスタントとして働かせて頂き、また2005年から地方議員をめざす直前の2010年頃まで、京都商工会議所の地下にあった起業家育成施設「VBC」の運営も任せて頂いており、今回約10年ぶりに京都商工会議所や京都市、京都府が連携して立ち上げた「知恵創造の森」で、起業家育成に取り組むことになります。


私自身が京都で2003年に起業して多くの方にご支援いただき、成長させて頂いてきました。
そうして受けてきたご支援のご恩を、次に起業しようとする人たちにも回していければと思っています。
またそうした支援の輪の中にあって、私自身も成長していけるものだと思い、報酬度外視で本件を受けさせて頂きました。

アクセラレータプログラムへのご参加は、今月(10月)末まで、インターネット上からしていただくことができます。
ぜひ起業したい、アイデアを持っているという方は、お申し込みをご検討ください。


お申し込みはこちらから



藤井哲也
  


Posted by 藤井哲也 at 17:32Comments(0)情熱(私の思い)

2020年01月26日

「わたしの2001年→2020年」(後編)

◆なぜ議員を辞め、新たなチャレンジを始めるのか?
 ともかくこのような市長と、市政を議論していかねばならなくなった。もはや経済活性とか雇用創出とかという次元の話ではなくなっていたように思う。議員の提言も軽視し、自分のやりたいようにやるという姿勢だったので、議会軽視も甚だしく、たびたび議会と首長は対立してきた。しかし地方自治において首長の権限は絶対である。予算、人材、情報のすべてを持っていて、議会に対しては必要最低限の予算、人材、情報しかない。この中で私はよく頑張った方だと思う。
 しかし議員活動2期目が終わりに近づいてきた2018年頃、私はふと思った。私がやりたかったことはこのようなことではないと。2000年前半に見た就労に困っていた若年者、2000年代後半に見た30歳前後の若者たちの悲痛な顔。2010年代後半になってその世代は就職氷河期世代として再びクローズアップされることになるが、私にとって、議員活動8年でどれほどのことが、就職氷河期世代支援のために尽くすことができてきただろうか。地域では多くの支持者の方がいて、私の応援をして下っている。もうすぐ40歳。自分にできることがあるとすれば、もう4年後は難しいと思った。
 だから私は大変お世話になった地方議員の仕事を辞めて、再び就職氷河期世代のために活動をしようと決意した。2018年の夏ころだった。支援者の方には夏の終わり時期からお伝えをし始めて、地元の市議会議員に立候補しようとする後継者も決まり、私は新しくも昔からやっているフィールドに戻ることとなった。2019年4月30日は平成の最後の日であるが、この日わたしは議員バッチを置くこととなった日でもあった。

◆この1年間で経験したこと
 実は次の活動をどのようにするのかは明確ではなかった。とりあえず市議会議員をこのままやっていても、市議会議長や県議会どまり。ポジションや名誉のために議員になったわけでもなくそれならば、民間の立場で公共の仕事に携わり、そして就職氷河期世代のためにも活動できる立場になりたいという思いだった。ただこれまで熱心に応援して下さっていた方々に議員を引退することには申し訳なく思った。
 会社経営を議員活動と並行しながら8年間継続してきていたものの、ビジネストレンドからは置いて行かれているという実感はあった。だから日本における最先端のビジネスセンターである東京に出て仕事をして、まずは仕事観を取り戻すこと、そしてできるならば国会議員や中央府庁の関係者と多く人脈を構築できるような仕事に就こうと考えた。
 おかげさまで就労支援や労働政策には関係なかったものの、政府渉外に関わる仕事をITメガベンチャーで得ることができた。市議会議員の時代よりも給与水準は高かったものの、家族は関西、自分は東京ということで二重生活拠点を維持しなければならず、生活水準は低下することになったが、一時的な投資期間だと捉えることにした。
 話はさかのぼるが、私は2009年に結婚し、2012年に待望の息子を授かっていた。いまではもう7歳。小学一年生。この時期の子供を置いて、ひとり戦場である東京で仕事をすることに不安はあったが、ビジネスセンスを取り戻し、また人脈形成をするという点に絞り、家族の了解も得て、ひとり武者修行の旅に出ることにした。仕事は勤め先である企業が進めようとしている案件に関して、国会議員や関係府庁まわりをして、サポートをしていくこと。財団法人を設立するにあたり、国会議員に就任して頂くように折衝したり、またはキャッシュレス事業者向けの金融法制の見直しに関して審議動向を随時モニタリングするなど、永田町や霞が関周辺で比較的自由に動き回ってきた。
 おかげさまで協力者にも恵まれ、多くの有為な人脈を形成させて頂き、また東京でのビジネススピードにも触れさせて頂き、トレンドを知り、今後の流れをつかむこともできた。またビジネスにおける東京のスタンダードがどのようなものなのかを高い次元で経験することもできたように思う。

◆国ではじまった就職氷河期支援の動き。再び、就職氷河期支援の現場へ!
 2019年5月、東京に来てすぐに、就職氷河期世代支援を集中的に始めていこうとする政府方針が示された。そして8月末には次年度概算要求。12月末に予算査定を経て、2020年具体的な施策立案の議論が進められてきた。ちょうどこの間、私は東京にいて、運よく様々な関係者と出会い、また関係議連や会合にも顔を出させて頂いてきた。どのような人たちがどのような思いでこの政策を進めようとしているのか、政策立案の中枢にいる人はどのような人で、どのような考え方をされているのか。それらをすぐそばで見てきた。
 これまで会社経営を16年余り、地方議員を8年、そして東京での政府渉外の仕事を約1年。このほかにも地方自治体コンサルティングの仕事や、企業研修講師の経験などさまざまな経験を培わせて頂いてきた。これら経験をミックスした新しい私なりの活動がこれから始まろうとしていると考える。2020年。私はこの東京でお世話になった会社を辞めて、再び自分の足で、就職氷河期世代活躍支援のために取り組みをはじめようとしている。2000年代初頭に感じた若年者の苦悩、2003年に創業し、2011年に議員に立候補、そして2019年に議員を辞めて、東京に修行に出ることを決めたこと、すべてはつながっているはずであり、私自身の血肉となって、これからの活動に生きてくると信じている。


  

Posted by 藤井哲也 at 09:30Comments(0)情熱(私の思い)