2007年08月31日

PASIO物語【6】


電話の相手はローム株式会社の統括課長Mさんだった。

日経新聞を読んだということで一度説明に来て欲しいという

ことでした。

ロームは西院に本社があるカスタムメイド式の半導体を

つくっておられる超優良企業です。経常利益率が半端ではなく、

そのほか私が好きなクラシック音楽について財団を通じて

支援されておられる佐藤社長の会社です。

その会社からご連絡を頂きまして、その日のうちにご訪問させて

いただきました。KRPから西院のローム本社までは自転車で

15分程度の距離なのですが、非常に嬉しかったのを覚えています。

そしてココで新しい悩みが生まれてきました。


私が外出している間に新しいご依頼やお問合せがあった場合、

どうしたらいいのか、当然事務員も居ませんし、転送サービスの存在も

しりませんでした。

やむなく「留守番電話設定」


一企業としては「留守番電話設定」は信じられないのですが、新しく

人が入る1年半以上もこの状態が続いたのです。


ローム本社に通していただき、M課長とお話させていただきました。

新しいサービスを使ってみたいということで、16日のオープン後に

またもう一度訪問して欲しいとおっしゃっていただけました。

障害者向けのWEBサイトもつくりたいというようなことも話していました。


帰るなりまたお電話を頂きました。しかも立て続けに何社も頂きます。

この事業の可能性と、日経新聞で取り上げていただきましたH記者には

たいへん感謝します。

10月16日のサービスインまであと1週間程度に迫ってきていました。

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Posted by 藤井哲也 at 22:40Comments(0)

2007年08月30日

PASIO物語【5】


パシオがやろうとしていたことは、求職者が企業に応募するのではなくて

求人企業側が公開されている個人情報やPR文書を見て求職者に

アプローチをかけるというものでした。

当時はそのようなサービスはなかったといえばあったのですが、リクナビの

一つの機能であったり、その他求人サイトの一つの機能でしかありません

でしたが、これに特化したサイトにしようと思ったのです。

実はアメリカはじめ欧米では同様なサービスがすでに存在していることも

しっていました。そしてある一定の認知を得て、広まっていたことも知っています。

そうした可能性があったことからもやってみて損は無い、きっと新しいものが

見えてくるという感触はありましたし、なによりも創業前日に呼んだドラッカーの

著「ネクストソサエティ」に書いてあった一文『知識労働者は自らの専門性の

ために働く』ということを読んでいたからです。

これからの社会は完全な知識社会になる、そうとすれば知識を欲しい企業が

知識を持っている求職者に対してどんどんアプローチを書ける時代がやってくる、

そして企業が求める知識も段階ごとによって異なるし、知識の淘汰もどんどん進む、

新しい情報が常に欲しい企業側にとっては、常に新鮮な人材プロフィールが

必要であるし、個人側にとっても多くの機会を獲得することから自らのプロフィールを

一般公開していくことも考えられるのではないかと思ったからです。

そして、「フリーターをなくす」という思いが強く、多くのフリーターと呼ばれて、

仕事が無い、やむなくアルバイト生活をしている人にとってみても、本当はすばらしい

才能を持っているのではないか、たまたまそれを企業が知らないだけで、

求職者側もこんなこと話してはいけないのではないかと遠慮してPRしない

すばらしい才能と趣味・特技と考え方を持っているのではないかと考えたのです。


人はすべて平等であり、劣っているそして優れているということはないというのが

私の考え方です。なにが価値を分けているのかといえば、たまたまこの時代に

その人が持っている特性が必要とされているだけであり、たとえばホームレスの人

であったとしても、それはすばらしい才能を持っているのかもしれませんがたまたま

それが一般的に活用されていない、認知されていないだけなのかもしれません。

そうした才能を多くの人事担当者が開拓していけばきっとフリーターのような

人たちは減るのではないかと思いました。

思いから生まれたのが、初代「ワークカフェ」です。



新聞に掲載された当日、ある会社からご連絡を頂きました。

京都を代表する企業ロームの人事課長からでした。


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Posted by 藤井哲也 at 22:48Comments(0)

2007年08月29日

PASIO物語【4】

第1段目のプレスリリースには京都経済新聞社様が取り上げていただきました。

本格的な事業開始の前に更にもう一回プレスをうとうと思っています。


WEBサイトの進捗状況にはいまだ予断を許さない状況が続いていました。

10月9日という1週間前まで、営業活動がまったくできず、そしてWEBサイトの

完成に向けてたとえば応募者への御礼文章やら、登録項目の最終決定など

会社を作る前にしておくべきことが山のように残っていて、WEBサイトの制作

業務と、営業準備作業、プレスリリース、そして京都リサーチパークをはじめとする

あいさつ回りだけの日々をすごしています。


ただやるべきことは多く毎日夜の23時頃までは仕事だけでした。


10月のあたまに実は初契約を受注しています。京都リサーチパーク株式会社から

です。内容としては、京都リサーチパーク(以後KRP)で開催される

毎日コミュニケーションズさんとの共同イベントの広報協力という案件で、

大学まわりをしてポスターを配ったり掲示のお願いをしたりするものでした。

回った大学は5校くらいだったのですが、会社を作って初めての契約がようやく

とれました。2万円です。

今でもKRPの岡田直樹マネージャー(現部長)には感謝しております。



当時、仕事は一人でやっていたのかといえば全くの一人というわけでは

ありませんでした。大学のときの友人にそれとなく手伝ってもらったり、

その人から紹介してもらった同志社大学の学生にもそれとなく手伝ってもらったり

していました。大学時代の友人は竹本氏といい、私のクラシック音楽熱に

火をつけた人です。いろいろと助言を貰いながら、そしてときには資料作りなど

実務的にも力を貸してもらっていました。



10月16日が近づいてきていたのですがシステムの開発状況はよくなく3日ほど前に

まだバグが多く残っている段階なので現段階でスタートするのは厳しいという趣旨の

ことを言われていますが、そのときはすでにプレスリリース済みでした。

プレスを売ったのは2週間ほど前の10月2日頃だったと思います。


そしてまもなく一本の電話が入ってきました。

「日本経済新聞社のHといいますが・・」ではじまる電話でした。

そしてもう一本

「京都新聞のNといいます」


立て続けに日経新聞さんと京都新聞からご連絡を頂きました。

そして掲載されました。



10月8日付 日経産業新聞と日本経済新聞に掲載いただいた記事です。

これが現在残っている一番古いパシオの記録です。

会社設立以来まだ10日目なのですが、日本を代表する経済新聞に記事を

掲載いただき、パシオの歴史は動き始めました。

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Posted by 藤井哲也 at 22:41Comments(0)

2007年08月28日

PASIO物語【3】

広報戦略については私なりには色々と考えました。

なによりもお金が無くて広告を打つことは考えられず、

面白い、斬新なアイデアを報道関係の方に認めていただき、

そしてマスコミで取り上げていただくことがなによりも

一番の広報戦略になるのではないかと思いました。


営業のほうはいまいち進んでいません。

というのは、やはり商品がないからです。

当初は営業の時間も考えて、10月1日には出来上がっていて欲しいと

いうようにシステム会社には伝えていたのですが、実際のところ10月1日の

段階では完成などはるか遠い世界のような感じだったからです。

とはいってもココのうちで決定していた営業開始日の10月16日には

なんとしてでも間に合わせられるように私もWEBサイトの制作に注力する

ようになりました。必要な文言が足りないことであったり、システムについての

要件を構築しながら決定して言ったりと本当にドカタ的な構築だったと思います。

無理も無いと思うのですが、9月頭頃にシステム構築にようやく入ってまだ

1ヶ月しかたっていません。システム会社の担当者、西森さんは大丈夫できる

という感じでおっしゃってくださっていたのですが、やはり無理がありました。

今から考えればあれだけのシステムを1ヶ月間で構築することには本当に

無理があったと思います。

営業を後回しにせざるを得なかったのですが、もうひとつの課題である広報に

ついてはさっそくとりかかっています。

第1段階目は9月29日付「京都起業家学校4期生初の創業」というタイトルで

プレスリリースを出しました。お世話になった京都経済新聞社の築地社長、

浅野さん、井上さん、米原さんにご助言をいただきながらリリース文書を作成し、

そして郵送で送付しました。

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Posted by 藤井哲也 at 23:28Comments(0)

2007年08月27日

PASIO物語【2】


資本金は300万円。

内訳は250万円が私で、50万円を父親から出してもらった。

サラリーマン2年間でほとんど遊ばずに300万円をためたのだが、

250万円を会社に提供し、50万円を当分の間の自分の生きるための

お金とした。



会社設立時の取締役は2名。有限会社であったので、1名でもよかったのだが

1名であるならば、「代表取締役社長」という肩書きではなくて、

「取締役社長」となってしまう。

肩書きのために会社を設立したわけではないが、名刺に書くときに

代表という2文字があるほうが迫力がありそうという理由だけだったのですが

取締役に出資者である父親についてもらいました。



話は前後するのですが、私の父親は当時は滋賀県草津市にある

町工場の社長をやっており、決して儲かっているわけではなかった

と思うのですが、赤字でもなかったと思います。


経営については創業以来ほとんどなにも助言さえも貰っていないので

あるが、父親は25歳である人と一緒に独立したことを考えれば、

それよりも1年早いというか、誕生日まで残り半月だったのであるが

それを更新したという思いはあった。


9月30日、まず取り組むべきことは、10月16日にスタートする

求職者情報サイトをいかに広報するのかということと、スタート時までに

企業数をある一定確保するということであった。



私の経歴はこのブログのプロフィール欄にもあるとおりであるが、

大学卒業後はヒューマンリソシアという人材派遣会社に勤めていて

2年1ヶ月間法人相手に営業活動をさせていただいておりました。

営業の何たる化はまだまだわからないのですが、なんとなくこういう風に

すれば営業が取れて、どうすればうまく企業の人事の人と話が出来るのか

ということなどはほんの少し分かっていました。

そういう点からすれば、ある程度企業の人事担当者と話は出来るだろう

ということであまり営業面には不安は無かったのですが、サイトの広報面

には非常に不安がありました。

WEBサイトとは何か?

それまでは、あまりインターネットを活用したことも無かったので、どのように

ビジネスが成り立つのか?ということが分かりませんでした。


りくナビなど確かに、私が就職活動をした3年前にはサービスはあったのは

あったのですが、アナログ回線で非常に読み込みが遅く、学校の端末も

常に満杯で利用まち30分というのが普通だったと思います。

そのようなネットライトユーザーがネットビジネスをしようとしており、

しかもなんとかなると思っていることはかなり楽天的だといわざるをえないと

思います。(しかもこのビジネスは2ヶ月前に思いついたある種ぽっと出の

ビジネスプランです・・・)


いずれにしてもサイは振られています。

広報戦略について考えていかなければなりません。

                                    情熱を胸にICON179

    
           ただいま 情熱的人事コンサルタント 募集中!!!



  

Posted by 藤井哲也 at 23:14Comments(0)