2009年09月09日

運も実力のうち?




「運」はゼロサムかゼロサムではないのか?



人は平等ではないと残念ながら思う。

生まれも育ちも環境が異なるし、性別も異なる。

たまたま親が資産家であるとか、たまたま家が貧乏だったとか、

生まれた国が紛争であったり、やはり人は平等ではない。

しかし政府や統治機構はできる限り平等にしようと福祉や社会保障制度を

充実させて人として生きているからには必要最低限どの文化的生活を

享受できるように再配分のシステムをつくっている。




よく幸運の女神は前髪しかないといわれている。通り過ぎてしまえば、

髪の毛をつかむことが出来ないということだ。通り過ぎる前に、その存在に

気づき、そしてつかむ必要がある。



「運」がいい人、悪い人というのは、結局のところ、あとから悔やむことなく、

常にチャンスを逃さないという意識を持っているかなのかもしれない。

故松下幸之助は、必ず採用面接では「あなたは運がいいほうですか?」と

聞いていたそうだ。運がこない、と嘆いている人は、自分でそうしたチャンスに

気づいていないか、気づいても誰かのせいにしてつかもうとしないのか、

ではないだろうか?誰も不幸な人の周囲には集まらない。運がいい人は

きっとポジティブで周囲の人に対しても、思いやりと配慮を持っている人なのでは

ないかと、感じる。




私は結構運がいいと思っている。

24歳で会社を作って、良き役員と社員をえて、お客様に恵まれ、

プライベートでも結婚することが出来ている。運がいい。

「運も実力のうち」という言葉もあるが、私は松本仁志と同じかもしれないが、

「運は運。実力は実力」だと思っている。

運は運だし、実力は実力。



私は運はいいほうだと思う。

しかし実力が明らかに不足している。

もっと成長しなければならないし、血を吐くまで仕事をし、

限界を超えなければ次のステージは見えてこないように

思う。



実力をつけなければならない。

                    情熱を胸にICON179








Posted by 藤井哲也 at 08:01│Comments(0)情熱(私の思い)
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